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2006年ボストンマラソン参加&北米滞在日記

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4月18日 5日目

後にするシェラトンホテル(ボストン)
この日で、ボストンは最後になる。過去2回のニューヨークマラソンでは、マラソンレースが終わるとトンボ帰りで日本に帰ってしまったので、マラソン翌日というのは淋しさばかり残ったが、今回はこの後ナイアガラ、ニューヨークと回るので、今までとは違ってまだまだワクワク感がある。ホテルでチェックアウトを済ませ、外に出ると物凄い強風が吹いていた。こんな状況じゃ、とてもじゃないが楽しんで走れないと思った。初日の暑さといい、走るには厳しい気候続きの中、前日のマラソンレースは、ちょうど良い気候の中で行われたんだと実感した。物凄い強風を横切って、ボストン空港へ行くバスに乗り込み、そしてボストン空港へ着いた。ボストンからナイアガラまでは、エア・カナダを利用してトロントへ行き、そこからナイアガラまでバスで移動する。ナイアガラの滝というのは非常に有名で、私も小学生のころからその存在は知っていたが、実を言うとこの滝がアメリカとカナダをまたがっているということは、このツアーに参加するまで知らなかった。ちなみにナイアガラの滝は、五大湖のひとつであるエリー湖から、もうひとつの五大湖のオンタリオ湖へ流れる川の途中にある。まあ、皆同じだとは思うが、いくら有名なところでも、実際にそこへ行くとなって大きな関心を抱かない限り、そのことに関して意外と基本的な知識さえ持ち合わせていないものである。

飛行機から見たオンタリオ湖
ボストン空港に着くと、フライトまで多少時間があるので売店をブラブラ見ていたら、なんとボストンマラソン公式のウィンドブレーカーを売っている店があった。このウィンドブレーカーはマラソン受付会場のエキスポで買うことができたのだが、そんなものがあるなんてことを知らなかったから、そういうものを会場で探して買おうなどという発想がないので当然買わなかった。しかしその後、同じツアーの人やマラソンに出た外国の人がこのウィンドブレーカーを着ているのをよく目にしたので、「うらやましいな」と思ったものの、後の祭り。しかし、まさかここの空港にあったのである。品が少なく、自分が着られるサイズとしてはXLサイズしかなく、Lサイズが最適な自分としてはかなりブカブカになってしまうサイズだったが、ここで逃すともう2度と手に入らないと思い、買ってしまった。ちなみに、谷○さんと同姓同名のTさんもこの公式ウィンドブレーカーを買いそびれていて、Tさんもここでウィンドブレーカーを買った。(Tさんはどうやら自分のサイズに合ったのを買えたようだ。)その後、飛行機の搭乗エリアに入ろうとすると、身に着けているものから靴まで、着るもの以外ほとんど全て脱がされた。日本からアメリカへ発つときや、ニューヨークからボストンへ向かうときはこういうことはなかったので、少々驚いた。(ただ、実は半月ほど前に世界クロスカントリー選手権を観戦に福岡に行った時に、帰りの福岡空港で同じ目にあったので、少々免疫はついていた。)飛行機に乗り込むと、3列の座席の真ん中に、両側に女性に挟まれて座った。そしたら、そのうちその女性たちが私をまたいで会話をしだしたので、これはこの2人は友人だなと思って、「(文法、単語、時制メチャメチャ英語で)あなたたちは友達のようですけど、席を代わっても良いですよ。」と声をかけてみた。私はそのとき、自分と通路側の女性が入れ替わればいいと思っていたのだが、なんと私に窓側の席を譲ってくれた。これは、予想もしない窓側の席となった。そして飛行機が離陸し、しばらく外の景色を眺めたりしていたが、その女性のうちのひとりがボストンマラソンの公式のウィンドブレーカーを着てたので、ということは彼女たちはボストンマラソンに出ていたことになるので、思い切って(相変わらずのメチャメチャ英語で)話しかけてみた。「あなたたちは、昨日ボストンマラソンを走ったんですね、私も走りました。」とか、「私は日本から来ました。」とか「ボストンのコースは予想していた以上にアップダウンが厳しかった。」とか話し、結構盛り上がった。やはりこういうとき、ボストンマラソンを走ったという共通の話題があり、しかも共通の目標に向かって頑張ったという体験を共有していることは大きい。こんなことでもなければ、見ず知らずの人と話をする機会は中々ないであろう。飛行機がトロントに着いたら最後、「窓側の席を譲ってくれてありがとう。」とお礼を言った。

飛行機から降りると、このフライトはアメリカからカナダへと国をまたぐことになるから、再び入国審査があった。アメリカのように指紋を取るようなことはなかったが、ここの審査官に「KANKO(観光)?」と言われたのには驚いた。やはりここトロントは、ナイアガラの滝目当てに日本人観光客が多いということだろう。トロント空港に入ると、アメリカとは違うことに気づく。それは、表示が英語だけでなく、必ずフランス語も併記しているということである。カナダの公用語は英語とフランス語であるが、そうであるということがこのことで実感できる。空港を出てからは、前に述べたとおりナイアガラまでバスで移動する。トロントの方角を見ると独特の形をしたタワーが見え、形も似ているのであの世界で一番高いなCNタワーかなと思ったが、自分の記憶の中ではオタワにある気がしていたので、やはり違うかなと思った。(実は帰国して調べると、これはやはりCNタワーだった。)それからこのツアー、ツアーを通して日本から同行してくれている添乗員さんの他に、現地在住の添乗員さんがその土地土地でガイドをしてくれる。このバスでは、ナイアガラに住んでいるという日本人の男性の添乗員さんがガイドをしてくれたが、この添乗員さんのしゃべりは本当に面白かった。ノリはどちらかというと関西系のノリ(関西弁をしゃべっているという意味ではない)で、バスに乗っている最中、ずっと笑わせてもらった。例えば「カナダ人は子供の頃からジャンクフードばかり食べていて舌が麻痺しているから、日本人みたいに美味しさがわからない。」などの話を聞かせてもらった。文字で見るとカナダ人をけなして嫌なヤツと思われるかもしれないが、これがユーモアたっぷりに話すから、面白い。カナダが嫌いではなく、好きだからこその愛情表現の裏返しという感じを受けた。「カナダでは、運転免許を取りに行くのに自分で車を運転して行き、試験に落ちても自分で車を運転して帰る。(車を運転する資格を取るために試験を受けるのに、その資格がない状況で平気で運転している。)」なんて話も面白かった。こんな話を聞きながら、ナイアガラまで向かったが、ナイアガラまでは結構かかり、1時間ほどして着いた。

ナイアガラの滝(カナダ滝)
ナイアガラの滝は世界でも有名(世界三大瀑布の中のひとつで、あとは南米のイグアスの滝と、アフリカのヴィクトリア滝)で、この滝の写真はほとんどの人が見たことがあるかと思うが、周囲の環境を知っている人は意外と少ないだろう。私も展望タワーが近くにあるということ以外は全く知らなかったから、周囲の風景を見て驚いた。派手な外観のホテルが密集して建っていて、しかもその中にカジノの建物も混在しているのである。こういう風景はちょっと想像していなかった。バスは、カナダ滝の上流側にある駐車場まで行った。そして滝を見るために、いよいよバスを降りる。バスから降りると雨も降っていないにもかかわらず、上からしぶきが降ってきた。滝が落ちるときにできるしぶきが空に吹き上がっているのである。これだけでも今まで経験したことがない迫力。そして滝のある方向からは、「ゴーッ」という物凄いごう音が聞こえてくる。もう期待を抱かずにはいられない。そして、まず滝の上側から見ると、結構な速さで水が流れてている。そしてその先には、ストーンと何もなく、その先には白いしぶきが舞い上がっている。正直、ここに落ちたら一環の終わりという感じ。そして流れに沿って進んでいくと、ついにあの写真でよく見る光景が目の前に広がっていた。本当に凄い迫力。滝の幅の広さ、その水量、迫力のある音、舞い上がる水しぶき、このスケールの滝は日本ではお目にかかることはできない。本当に期待を裏切らない迫力だった。晴れてくれていたおかけで水の色も青くきれいで、天候にも恵まれた。そして写真を撮ったりしながらしばらく滝を堪能した。滝をしばらく堪能した後は、滝の観覧エリアにあるレストランでツアーのみんなで昼食をとった。レストランの中からすぐ外を見ると滝が目の前にあり、かなり贅沢なロケーションである。昼食のメニューはサーモンのステーキで、2日前のボストン美術館のレストランでも食べているので、なんだかこればかり食べているような気がした。昼食の後は、今度は霧の乙女号という小型の船で、川を上がって滝のすぐそばまで行く予定になっている。上から見た滝が素晴らしかったので、おまけ程度の考えでいた。カナダ滝からちょっと下流のアメリカ滝をちょっと越えたところで霧の乙女号に乗る。その際、滝に近づくと滝のしぶきが上から降りかかって全身がびしょ濡れになってしまうため、船に乗るときに提供されるビニールのポンチョをかぶるようになっている。そして船に乗る。まず気が付いたのは、近くに見えるアメリカ滝が結構な迫力であること。カナダ滝に比べる相対的に小さく、しかも我々はカナダ側にいるためアメリカ滝を間近に見ることができないから、大したようには見えなかったが、間近から見るとやはり凄い迫力である。その後カナダ滝側に近づいていくと、アメリカ側の岸にカモメのコロニーがあることに気づいた。かなりの数のカモメがいる。これは上側から見ると気が付かなかったことである。そして、カナダ滝に近づいてくると、降ってくるしぶきの量がどんどん増えてくる。回りの風景は雲って真っ白になり、その向こうに滝がかすかに見え、まさに幻想的な光景である。霧の乙女号に乗って本当に良かったと思った。霧の乙女号の遊覧が終わると、一緒に乗っていた同じツアーの人に、「今まで生きてきて、一番感動した光景のひとつ」とさえ言ってしまうほどだった。

ナイアガラのホテル郡(左端が
シェラトン・フォールズ・ビュー)
虹も見える アメリカ滝

滝をバックに(ボストンマラソン
公式ウィンドブレーカー着用)
レストランの中から見える滝 ポンチョを着て、霧の乙女号に乗る

霧の乙女号から見上げるアメリカ滝 霧の中から見える幻想的な光景 霧の乙女号上の私
霧の乙女号の遊覧が終わった後、そこで自分用のお土産としてプラスティック製でナイアガラの滝の絵が描いてあるビールジョキを買った。その後は、ナイアガラの滝から下流へ5kmほどのところにあるワールプールへバスで行く。途中に見る川岸は岩肌が剥き出しになっているが、添乗員さんの説明では、それはここが昔ナイアガラの滝があった名残だとのことであ。5千年ほど前は、実はナイアガラの滝はワールプールの辺りにあり、その後水流により岩が削られ、毎年1m程度の割合で滝の位置が削られて、現在の位置まで後退したとのことである。現在はナイアガラの滝上流の水量調整により、毎年の後退量は毎年3cmほどに抑えられているとのことである。ワールプールというところは、私は実は知らなかったのだが、バスから降りてそこを見ると滝から流れてきた川がここで少し溜まり場になっており、そこから川が来た方と直角に右方向に出ていっている。滝には及ばないが、これはこれで随分と迫力のある光景である。ワールプールを見終わると、ナイアガラ市内にある「斉藤カナダ」という土産屋に寄った。ここは名前のとおり、日本人(日系人?)の方が経営していて、店員の方もみな(流暢な)日本語がしゃべれる。アメリカ(カナダ)に来ると、仲間内以外は日本語が通じないから、ここに来てホッとする人も結構多いだろう。過去2回のニューヨークの経験では、アメリカというところで土産の食べ物を買おうとするとチョコレートしかなく、今回もしょうがないから日本への土産としてチョコを買って帰ろうとしていたところ、ここにはいろいろなものが売っていた(なんとカナダ限定のプリッツまで売っていた)。せっかくお土産としてチョコでないものを買える機会だったので、メープルシロップとメープルシロップの飴を買った。その後は、この日宿泊するシェラトン・ナイアガラ・フォールズ・ビューへ直行したが、シェラトンのすぐ近くに、なんとあの大橋巨泉のギフトショップ(オーケーギフトショップ)があった。

ワールプール ホテルの部屋から見える滝
(手前の影はシェラトンのもの)
ナイアガラで泊まったシェラトンホテルは、その名(シェラトン・ナイアガラ・フォールズ・ビュー=シェラトン・ナイアガラの滝の眺め)のとおり、ナイアガラの滝をすぐ目の前に眺められる場所に位置している。ナイアガラの滝に来てホテルに宿泊するとすれば最高のホテルの一つであろう。(他に目の前に滝を眺められるホテルとしては、マリオットホテルがあった。)ホテルは通路を境に滝の側と滝と反対側に分かれており、幸い我々は滝側の部屋に泊まれた。(せっかくナイアガラの滝を眺められる場所にあるというのに、滝側とそうでない側とでは価値が違い過ぎる。ツアーに参加した人は皆滝側の部屋に泊まったとのことなので、おそらくツアーとしても全員滝側の部屋に泊まれるよう手配したのだろう。)部屋に入るとまさにホテルの名前そのもので、部屋からナイアガラの滝がしっかり見える。本当に贅沢この上ないという感じだ。同じシェラトンなのに、ボストンでの部屋からの眺めとは大きな違いで本当に得した気分になった。まあ、といってもずっと滝ばかり眺めていてもさすがに飽きてくる。それで部屋にあったテレビをつけた。ボストンでは当然のことながら放送は全て英語で、ナイアガラも基本的にはも全て英語放送なのだが、一局なんとNHKがあった。HNKのニュースやドラマ(江角マキコ主演で弁護士の役を演じるドラマだから、日本で放送されて間がないものを放送していたと思う)を日本語で放送しているのをナイアガラで聞くと、なんか妙な気持ちになった。

巨泉のオーケーギフトショップ
その後、そろそろ日が陰ってきたので夕食を食べにホテルの外へ出た。いろいろレストランを探し回ろうかとも考えたが、ヒルトンホテルの横にデニーズがあったので、無難であろうということで結局デニーズにした。普通のレストランでは、メニューは出てくるものの写真や絵が載ってなく、メニューを見ても何を頼んだらいいのか困ることが多かったが、デニーズでは日本のファミレスと同じように写真が載っていたので、これは助かった。メニューは、エビを揚げた料理を頼んだが、ウェイターが「米がないがOKか?」と聞いてきたので「OKだ」と答えると、エビの料理とともにフレンチフライポテトに(ハインツの)ケチャップがついたものが山盛り出てきた。本当に、こちらの人はカロリーが高いものを日常的に食べると思う。食事を済ませた後、このウェイターにもチップを渡したが、やはりすごく嬉しそうだった。やりはこっちのウェイター/ウェイトレスの人たちは、相当チップに期待しているということが、今までのことですごくわかった。夕食を済ませた後は、デニーズのすぐ近くにカジノがあり、ナイアガラ担当の添乗員さんが、ここではカジノに入っても安全だと言っていたので、カジノがある建物に行ってみることにした。ただ、そんなところに今まで行ったことがないので、安全だといわれてもなんとなく不安である。結局カジノがある建物に入ってみたものの、カジノがあるであろう所には赤じゅうたんが敷いてあり見張りがいるのを見るとやはり怖くなり、ちょっとここは場違いだと思ってカジノそのものには結局入らなかった。カジノの建物を出た後にナイアガラの滝を見てみると、赤青緑などの色とともにきれいにライトアップされていた。これもまた昼間の風景とは違った綺麗さがある。せっかくだから滝の間近にまた行きたいと思ったが、どうもどこを探しても一つの通路を除いてそこへ通じる通路はなく、滝をすぐそばで見る地点と、こちらのホテル側との間に行き来できないように茂みが設けてある。そしてその一つの通路というのは有料となっている。さすがに世界有数の観光地だけあって、金を取ることにかけては抜け目がない。ただ、もう時間切れでその通路も閉鎖されていたので、結局滝の近くに行くのは諦めた。そうこうしているうち、茂みから動物が出てきた。アライグマだった。こちらが近づいていっても全然怖がらず、かなり人に慣れているようだった。アライグマというと、昔放映されていたアライグマラスカルというアニメからもかわいいというイメージがあるが、実は鋭い爪を持っていて成獣になると結構気性が荒くなり、日本でも飼っていたものの手に負えなくなり外に放してしまうということがあることを知っていたので、写真を撮った後あまり近づかないで、その場を後にし、ホテルに戻った。

カジノ ライトアップされた滝 アライグマ



4月19 6日目

夜明け前の滝 日が昇った直後の滝
やはりまだ時差ボケが抜けず、日が昇る前に目が覚めてしまった。外の滝を眺めると、もうライトアップはされてなかったが、向うから夜明け前の明かりがかすかに差し、それはそれできれいだった。その後徐々に明るくなってきたが、そのうちトイレに行きたくなり部屋のトイレに行き、用を足して戻ってみると、もう朝日が地平線の上に顔を出していた。せっかくナイアガラという地で御来光が見れるチャンス(富士山頂では何回か見た)だったのに、惜しいことをしてしまった。日が昇った後、朝食を取りにホテルの外へ出て、近くの違うホテルの1階にあるスターバックスでマフィンとコーヒーを取った。ちなみに、お金は米ドルで払ったが、戻ってきたお釣りはカナダドルだった。ナイアガラ担当の添乗員さんが言っていたとおり、カナダの人はかなり大雑把だ。朝食を取った後は、シェラトンホテルに戻ったが、ホテルの入り口近くにお土産屋があったので、ふらっとその中に入ってみた。別に何かを買うつもりは全然なく、何が売っているのかちょっとみるだけのつもりで陳列してある品を眺めていたが、そのうち、そこの店のレジをやっていた太ったおばちゃんが、「ボストンマラソンに出てきたんですか」と声をかけてきた。恐らく私がボストンマラソン公式のウィンドブレーカーを着ていたからであろう。そしてボストンマラソンの話題をきっかけに、そのおばちゃんと結構な時間話しこんだ。アメリカに来て、英語で一番会話をしたと思う。最初はお決まりの「タイムは良かったんですか?」という質問で、「タイムは良くないけれど、26マイルを楽しめました。」と答えた。するとおばちゃんが「26マイルを楽しめるなんて信じられない。」と感想を言った。そのうち色々な話題を話し始め、おばちゃんが地球儀を持ち出してきて、こちらが日本の位置を指し示すと、「こんな遠い所から来たんですか。」と驚いていた。それから、「これからニューヨークへ向かうが、ビルばかりで人工的なニューヨークよりも自然が多いナイアガラの方が良いと思います。」と伝えると、おばちゃんも喜んでくれた。最後に「あなたの英語は、今まで会った日本人の中でも上手です。」と褒めてくれた。こっちも当然それはお世辞だということはわかっていたが、そう言っていただいて嬉しかった。せっかくこれだけ楽しませてくれたんだし、なにも買わないで出ていくのも悪いと思い、ナイアガラの滝が描かれた紙を(冷蔵庫の扉などに)留めるマグネットを買った。値段は税込みで7ドル48セントだったが、そのおばちゃんは「Nana Doru Yonju-Hachi Sento」と発音してくれた。やはりナイアガラには相当多く日本人観光客が訪れ、簡単な日本語は勉強したのだろう。それにしても、ここでも「あと1時間以内にナイアガラから出発します。」と言おうとしたのに、英語で「1時間以内」とい表現がどうしても出てこなくて、なんだか誤魔化して表現してしまった。後々考えれば「within one hour」で良かったわけだが、そういうのがとっさに出てこない。英語でしゃべる練習が圧倒的に不足していることをこういう場面で嫌と言うほど痛感した。

国境検問所 アメリカ側から見たナイアガラのホテル郡
ボストンからナイアガラへ来たときはトロント空港経由だったが、ナイアガラからニューヨークまではニューヨーク州のバッファロー空港経由で行く。したがってカナダからアメリカまでは陸路で国境を越えることになる。アメリカ滝から数百メートル下流にレインボーブリッジという国境をまたぐ橋があり、ここを通ってアメリカへ入ることになる。ツアーのバスがレインボーブリッジを通過しアメリカ側へ着くと、アメリカ側の検問所が見えてきてその前でバスが止まる。そして添乗員さんが、皆にパスポートを用意するよう伝えると、そのうちガタイの大きい黒人の公安官(私は気がつかなかったが、腰にピストルを下げていたとのこと)がバスに乗り込んできて、皆のパスポートをひとつひとつチェックしていった。そのうち、ツアーの人の中にビデオ撮影していた人がいたのでそこで立ち止まり、その映像を消すよう要求していた。これを見て、アメリカとカナダというのは仲が良いにも関わらず、国境を通過するということは想像以上に厳しいことなんだと思った。検問所を通過した後はバッファロー空港へ向かったが、これもまた結構遠く1時間ぐらいかかっただろうか。やっと空港に着いた。

機内食で出た珍しい紫色のポテトチップス
今度乗るのは、jetBlueというアメリカ国内だけで運行している航空会社の飛行機だったが、驚いたのは搭乗券がまるで普段スーパーなど出買物したときにもらうレシートと見間違うほど安っぽいものだったことである。これにはみんな驚いていた。バッファロー空港でも飛行機に乗る前に売店を見ていたところ、ナイアガラとマンハッタンの絵地図が売っていて、滝やビル群の絵がリアルで、両方ともその地の様子を良く表していたので欲しくなり、買ってしまった。ここバッファロー空港からニューヨークまでは、同じニューヨーク州の間だけに厳しい荷物検査はされないと思っていたら、また身体に身に付けているものを取らされ、靴も脱がされた。どうも同じ州の間だけということと荷物検査の厳しさは関係ないらしい。それにしても、同じ州の中を飛行機で移動するのだから、やはりアメリカという国は広い! 飛行機では、母が右の窓側、私はその隣で、私からも外の風景は多少見える。ただ、見える風景というのは殆どが荒地だった。同じニューヨークといってもニューヨーク州の大半はこんな感じなんだろう。途中、機内食で珍しい紫色のポテトチップスが出てきたが、そのうちフライトも終わりに近づいてきてふと外に目をやると、なんとマンハッタン島が見えるではないか! 今までニューヨークまで過去2回来て、今回もボストンに行く途中にニューヨークを経由したが、いずれも窓際から遠く離れた座席にしか座れず、マンハッタンを上空から見る機会には一度もめぐり合えなかった。それが、今回初めて見ることができ、本当に感激した。上空から見るマンハッタン島は、そのエリアだけ異様にビルが立ち並んでいて、独特の景観である。私の母いわく墓石が立ち並んでいるかのようとのことで、まさに言われればそのとおりで、名言だと思った。せっかくの機会だから写真に撮ろうとカメラを構えたが、その直後、飛行機が着陸態勢に入って全ての電子機器をオフするようアナウンスが流れ、私のカメラはデジカメなので電源をオフするしかなく、結局写真に収めることはできなかった。飛行機はマンハッタンを通過した後、その沖にあるジョン・F・ケネディ空港に向かって行き、空港に到着した。

ジョン・F・ケネディ空港はかつて2回経験があるが、さすがに広すぎて空港の中は記憶にないが、空港からマンハッタンまではかつて通ったのと同じ道だったので、見える風景も記憶に残っているものがたくさんあった。途中に見える奇妙な形をした塔(Flushing Meadows-Corona Park にある塔;USオープンが行われるテニスコートの近く)も相変わらずある。それにしても、ニューヨークは今回で3回目となるが、目の前に迫ってくるエンパイアーステートビルを始めとしたマンハッタンのビル群が近づいてくると、やはりわくわくしてくる。ボストンのおっさんやナイアガラのおばちゃんにニューヨークはダメだと言ってしまったが、やはりそうは言ってもニューヨークというところはやはり人を引き付ける場所である。過去2回は、マンハッタンに入るのにクイーンズボーロー橋を通って入ったが、今回はウィリアムバーグ橋を通って入った。橋の横には高級アパートがあるが、そこにはニューヨークヤンキースの松井選手が住んでいるとのことである。マンハッタンに入った後は中華街を通って南下し、サウスストリート・シーポートでバスを止め、昼食になった。サウスストリート・シーポートというのは、マンハッタンの南のイーストリバー側にある、帆船を展示している会場で、過去2回のニューヨークでもこの場所には気がついてたが、ここで昼食を取ることになるとは思いもしなかった。昼食は、サウスストリートシーポートにあるショッピングセンターの中のフードコートで取った。フードコートには、アメリカン、イタリアン、中華、和食など様々な国のファストフードがあり、それを各自セルフサービスで買って、テーブルに持って行き食べるというものである。ここでは中華の焼きそばを食べようとしたが、あいにく現金がほとんどなく、トラベラーズチェックを使わなければならない状況になってしまった。そして店の人にトラベラーズチェックを使えるかと聞いたところ使えるとのことであったが、それが100ドルであるとわかったところで、拒否された。アメリカでは100ドル札を使うときに不正を嫌がられて拒否されることがあると旅行ガイドに書いてあったが、今回トラベラーズチェックではあったものの、そういうことが実際にあることがわかった。しょうがないから、このツアーで最初に行きの飛行機の中で知り合ったNさんに私の母の分も含めて20ドルを借りて、焼きそばを買った。このNさんには、このツアーを通じて本当にたびたびお世話になった。ここで食べた焼きそばは、こんなファストフードだから当然安いもの(そしてボリュームがある)であるが、なんだか久しぶりにうまいものを食べたように感じた。今までアメリカン料理ばかりで飽き飽きしていたところに、この焼きそばの味はすごく新鮮だった。その後フードコートの裏のバルコニーへ行くと、目の前いっぱいにブルックリン橋が広がっていた。ニューヨークにはマンハッタンと外をつなぐ吊橋がいつくもあるが、そのなかでもレンガ造りで伝統を感じさせるブルックリン橋は一番有名であるが、やはり本当に素晴らしいと思った。

サウスストリート・シーポート

展示してある帆船 ショッピングセンター 昼食の焼きそば

ブルックリン橋

隙間から見たグランドゼロ
昼食後はバスでニューヨークの市内観光をした。まずはバッテリーパークで自由の女神を遠くに眺め、その後グランドゼロを見学した。5年前にニューヨークに来た時は、同時多発テロにより貿易センタービルが崩壊してからまだ2ヶ月しか経っておらず、その頃はまだグランドゼロという言葉もなかった。5年前にニューヨークに行ったときは、私はたまたま地下鉄に乗っていてウォール街の近くで降りざるを得なくなり、横を向けば貿易センタービルが崩壊した現場のすぐ近くだったので、現場を見に行こうとすれば行けないこともなかったが、あのあまりにも悲惨で衝撃的な事件の直後、不謹慎だと思い、とても現場を見に行くような気になれなかった。ただ、今はもう観光客がここを訪れるのも一般的になっているし、グランドゼロがどんな所か確認したいと思った。そしてグランドゼロがある世界貿易センタービル跡地付近に着いた。ところが情けないことに、実は最初グランドゼロがどのようなものを指すのかわからなかったのである。駅のようなものがあったので、その奥まで行けばグランドゼロに着くと思ったので、ツアーの人たちと一緒にその中に入りどんどん奥まで進んで行ったが、エスカレーターで降りた先にもどうもグランドゼロと思われるような所に一向に着かず、そのうち駅の改札につき当たった。どうやらここは”駅のようなところ”ではなく本当の駅だったようだ。(後で確認したら、「World Trade Center Path Station」という駅だった。)そして金網を隔てて貿易センタービル跡地があったので、金網越しに見てみると建築機材が跡地一面に散在しており、それ以外は何もなかった。ここに来るまでは、グランドゼロというのはモニュメントみたいなものが建っていてそれを指すのかと思っていたが、どうやら貿易センタービルの跡地をグランドゼロと呼んでいるだけのようであった。(後でWEBで確認すると、どうやらかつてはここにそれを示すようなものがあったが、この地に新たに建設するフリーダム・タワーを2006年4月末に着工するので、この時は既に工事モードに入っていたのかもしれない。)金網の道路に面した所には、貿易センタービル崩壊直後の写真や、それについての説明などが掲示されていた。グランドゼロを見学し終わった後は、6番街、5番街とバスで回った後、宿泊するクラウンプラザホテルに着いた。クラウンプラザホテルはタイムズスクウェアからかなり近いということはあらかじめ地図で確認していたが、横を見るとタイムズスクウェア付近と思われる繁華街がすぐ横にあり、思ったよりも相当近くにあることがわかった。初日から5泊連続シェラトンホテルで、今回初めてシェラトン以外のホテルでの宿泊となったが、部屋の構成はシェラトンと特に大きな違いはなかった。(シェラトンと違って、ここは備え付けのコーヒーパックが一泊あたり1パックしかないのが一番の違いだった(笑)。それからやはりここにも冷蔵庫はなかった。)部屋は21階というかなり高い場所にもあるにもかかわらず、外を見るとここよりもはるかに高いビルに囲まれていて、さすがニューヨークという感じだった。

ヨットクルーズディナーを前に
(左からTさん、私、私の母、Oさん)
この日は夕方にヨットクルーズが予定されており、部屋に荷物を置き、ちょっと休んですぐに出て行った。ニューヨークは今回3回目だが、ヨットクルーズは今回が初めて。船から見るマンハッタンというのは5年前に経験しており、その眺めの素晴らしさに感動したが、今回は更にディナー付きでその夜景を見られるというのだから、本当に楽しみ。ツアーの人の中でヨットクルーズ参加者は8人だったので、ニューヨーク在住の旅行会社の人が運転するライトバンでハドソン川岸にあるヨットの発着場へ行った。ヨットというと、一般的なイメージでは帆がついた小型の船を思い浮かべるかもしれないが、このヨットクルーズに使うヨットには帆はなく、船体も小型のフェリーぐらいの大きさはある。ヨットに乗り込み、テーブルを前にしてヨットの出発を待ったが、もう夜の7時になろうとしているのに、外はまだ明るい。これで本当に夜景を見れるのかなというほどの明るさだった。(実はアメリカは4月になるとサマータイムに切り替わって1時間前倒しになるため、日本ではまだ夕方の6時相当ということになる。)そしてまだ日が沈まないうちに、ヨットが動き出した。そのうちディナーのメニューの注文を取りに来たので、私は牛フィレ肉のステーキを頼んだ。(日本ではBSEの全頭検査の問題でアメリカからの牛肉の輸入を停止していて、日本国内では牛肉を食えない状況だったが、私はアメリカで食べてしまった・・・今後、どうなることやら?)ツアーの人とテーブルを囲んでディナーを食べながら、船の外に見えるマンハッタンの風景を見て色々会話をしていたが、そうしているうちに日が沈んでマンハッタンのビルに明りが灯ると本当に綺麗で、ディナーを食べるのを途中で中断して夜景を眺めるために甲板へ出てしまった。ナイアガラも素晴らしかったが、こちらも本当に素晴らしかった。ニューヨークは3回目になるが、こんな綺麗なマンハッタンの夜景を船から見ることができて、今回も来て本当に良かったと思った。ただ残念だったのは、持ってきたデジカメの取り説をろくに読んでいなかったので、オートモードでしか撮影することができなかったこと。このような暗い中ではシャッター速度が極めて遅くなってしまうため、動いている船から写真を撮るとどうしても画像がブレてしまう。したがって、どんなに写真を撮っても一向に良い写真を撮ることができなかった。そのうちヨットクルーズの係員で写真担当の子(結構かわいい子だった)が写真を撮りに来たので、Tさんと一緒に写真に撮ってもらった。Tさんと共にテーブルに戻り再びディナーを食べていると、写真を撮ってくれた子がその写真のオーダーに来た。私としてはそのまま素直に買うつもりだったが、同じツアーの人でちょっとおせっかいな関西弁のおっちゃんのOさんが値切れ値切れとうるさかったので、値切ってくれるようその子と交渉したがダメだと断られたので、そのままの値段(いくらだったか忘れてしまいました)で払った。ヨットクルーズが終わり、発着所からホテルへ帰ろうとすると、やけに車体が長いキャデラックのような車が何台も来ていた。ホテルからヨットクルーズまでライトバンで連れて来てくれた(もちろんホテルまで連れて帰ってくれた)人によると、これはニューヨークの白タクとのこと。ホテルに帰ったらすぐ寝ようと思っていたが、ヨットクルーズに一緒に行った人たち(Nさん、Oさん、Mさん)が部屋で飲むというので、それにご一緒させていただくことにした。ただ、一緒に飲んだ人たちの年齢はみんな60歳を超えていて私の親と同じような年齢の人たちばかりだったので、私からするとどうも話しについて行けず、ただただ話しにうなずくいてばかりで終わってしまった。(それはそれで楽しかったが。)

ヨット内の様子(手前はNさん) ヨット内から見える風景(手前はMさん) ヨットから見るブルックリン橋

ヨットクルーズのディナー マンハッタンの夜景
(残念ながらぼやけています)
マンハッタンの夜景をバックにする私
(こちらも残念ながらぼやけています)

ヨットクルーズの係員の娘に撮ってもらった、マンハッタンの夜景をバックにする私(右)とTさん(左)
(金を取るだけあって、私のデジカメより全然映りが良いです^^;)※事情により、写真の中央部分が汚れています。



4月20日 7日目

朝起きてホテルの外を見ると、本来明るいはずの8時頃でもどうも薄暗い。実は日が昇っていないのではなく、周りのビルが高すぎるため21階であっても他のビルの陰に隠れていたのである。さすがはニューヨークである。この日は終日フリーの日であるが、次の日は朝から日本への移動となるので観光できる日としてはツアー最後の日となる。まずは、クラウンプラザホテルのすぐ近くにあるタイムズスクウェアへ行った。ニューヨークは今回が3回目であるが、タイムズスクウェアへ行くのは実は今回が初めてである。13年前はニューヨークというとまだ治安が悪いというイメージがあり、タイムズスクウェアに一人で行こうとは思わなかった。(ツアーのオプションでブロードウェイミュージカルを見たので、タイムズスクウェアのすぐ近くに来たはずだが、ニューヨークのことをよく知らなかったので気がつかなかった。)5年前は治安は良くなっていたが、行く機会を逸してしまった。タイムズスクウェアに行く途中にはニューヨークヤンキースのショップがあったが、そこに松井秀喜選手の写真やユニフォームが飾ってあり、松井選手が本当にニューヨークにいるんだと実感できた。タイムズスクウェアに着くと例の有名な交差点の電光広告塔があり、まさにテレビで見る風景そのもので感激した。そして、タイムズスクウェアの電光広告といえばソニーの広告が真っ先に頭に浮かぶので探したが、SONYの文字がどこにもない。反対側の広告塔にもない。もうソニーの広告ははずされ、別の企業のものに代えられてしまったようで、ちょっと残念だった。その代わり日本の企業としては松下(Panasonic;南側)があり、また反対側の広告塔に韓国企業のSAMSUNGが広告を出しているのにはビックリした。(南側からカップヌードルの広告が外されていたことに、日本に帰ってから気づいた。)

ホテルの部屋から見たニューヨーク

ヤンキースショップ
(松井選手のユニフォームもある)
タイムズスクウェア北側
(SAMSUNGの広告がある)
タイムズスクウェア南側
(カップヌードルの広告が外されている)

タイムズスクウェアの通りを見た後はミュージカル街を歩いた後、歩いてエンパイアステートビルへ行った。エンパイアステートビルは過去2回上っており個人的にはもう飽きていたが、ニューヨーク初めての母には現在のニューヨークの象徴としては絶対に見せておかなければならない場所であろう。そういうことで、個人的には3回目のエンパイアステートビルとなった。その前に朝食を食べていなかったのでピザ屋に入ったが、何の躊躇もなくどんどん入っていった。ツアーの最初の頃は久しぶりの外国で結構おどおどしていたのに、やはり何日もいると慣れてくるものである。ピザのサイズもやはり例に漏れず日本よりもかなりビッグサイズだった。(味はまあまあだった。)その後店を出て、5番街を歩いていきエンパイアステートビルに着くと、やはりすごい行列。結局エレベータに乗るのに1時間かかった。エレベータに乗る直前、降りてきたエレベーターから出てきた若者が何かものを落としてしまい、スーツケースを片手にしていたため自由に身動きできず大変そうだった。その若者は日本語の旅行ガイドを持っていたため日本人だとすぐわかった。それにしてもこの若者、この後もスーツケースを手にしながら旅行先を回ったのであろうか? ご苦労様なことである。その後エレベーターで展望台へ昇ったが、過去2回のエンパイアステートビルは夜だったので、昼昇るのは今回が初めてである。過去展望台から見た風景は夜景で、確かにニューヨークの夜景はきれいなのだが、昼間の風景は夜景では見えない部分も良く見えて、夜景とは違った良さがあった。マンハッタンを斜めに横切るブロードウェイの様子もはっきりとわかった。また、ニューヨークでは、走っている車の半分がイエローキャブである通りもあることが、上から見て認識することができた。

エンパイアステートビルから見た風景

ダウンタウンのビル街 右上に小さく見えるのが自由の女神 斜めに走っている道がブロードウェイ
エンパイアステートビルを見終わると、今度は地下鉄を使ってメトロポリタン美術館へ行くことにした。エンパイアステートビルから一番近い地下鉄の駅に行ったら、駅がダウンタウン側とアップタウン側に分かれていて、メトロポリタン美術館と逆の方向に乗ってしまったら戻れなくなってしまうため、どちらに乗ったらいいのか確認する必要があった。するとちょうど近くに、今にも死んでしまいそうな感じのよぼよぼのお婆さんが歩いてきたので、そのお婆さんにどっちに乗ったらいいか確認したところ、アップタウン側に乗ればいいと教えてくれたので、アップタウン側のホームへ入った。(それにしてもこの大都会のニューヨークで、こんなよぼよぼのお婆ちゃんが一人で歩いていることに驚いた。)ニューヨークの地下鉄は、1人2ドルのメトロカードを買えば、市内どこまでも行けるシステムになっているが、料金所で大人2枚で買ったところ、2人で1枚を渡された。最初私がそのメトロカードを改札に通して中に入ったところ、残された母をどうしていいかわからず困ってしまい、メトロカードを買った黒人のおばちゃんの方を見たら、そのおばちゃんがそのメトロカードをもう一回改札に通すようゼスチャーで示してくれたので、もう一回通したら母も無事入れた。それにしてもこんなことは自動改札が進んだ日本の駅では考えられないこと。かなりの大雑把さにちょっとビックリした。メトロポリタン美術館の最寄りの駅は86ストリート駅で、周辺はセントラルパークの東側にあり、86ストリート駅から地上に出ると、マンハッタンの超高層ビル街とは違ったやや落ち着いた街並みだった。そしてメトロポリタン美術館に着いたが、まずその大きさに圧倒された。とにかく大きいのである。ボストン美術館など比較にならないほど大きかった。ただボストン美術館に行ったときに、美術館見学だけで半日を潰してしまったので、メトロポリタン美術館に入ったらまたその二の舞になると思ったので、中に入るのはやめた。それよりも、母も恐竜の巨大な化石に驚くだろうと思って、セントラルパークの向こう側にあるアメリカ自然史博物館へ行くことにした。アメリカ自然史博物館へは、セントラルパークを歩いて突っ切って行ったが、街中にあった温度計が25℃を示しているほど暑かったため、4月だというのに公園内の芝生で水着姿で寝そべっている女性の人もかなりいた。その後アメリカ自然史博物館に着き、博物館の中に入った。私自身は5年前に一回入っていて、特に真新しいものはなかったが、やはり恐竜の実物大の化石は迫力があった。博物館を見学し終わった後は、ニューヨーク名物イエローキャブに乗って国連本部へ行った。アメリカ自然史博物館から国連本部はそれほど離れていないのに、市内が混んでいるため着くまで結構時間がかかった。そして国連本部の見学エリアに入ろうとしたところ、午後5時で閉館で、既に6時になっていたので入ることができなかった。

メトロポリタン美術館 セントラルパーク ティラノサウルスの化石をバックにする私

オイスターバー店内 生ガキ料理
その後は夕食を取るため、国連本部から歩いてグランドセントラルターミナル駅にあるオイスターバーへ行った。グランドセントラルターミナル駅は5年前に来たときは、すぐ近くに宿泊したルーズベルトホテルがあったので、結構馴染みになった場所である。グランドセントラルターミナル駅に入ると、5年前に見た光景そのままで懐かしく感じた。5年前にステーキを食べたマイケル・ジョーダンズ・ステーキハウスもあった。今回オイスターバーへ行こうと思ったのは、5年前にニューヨークマラソンツアーで一緒に参加した人が良いと言っていたため、今度ニューヨークへ行く機会があったらぜひ行ってみたいと前々から思っていたからである。そしてオイスターバーを探したが、駅の構内にあるはずなのに全然見つからない。駅の構内を何回も回った挙句、清掃員の人(中南米系と思われる)に聞いてやっと着くことができた。オイスターバーはニューヨークでも有名なレストランのひとつ・・・ということは当然世界でも有名なレストランのひとつということになるので、当然混んでいて、店内は客でびっしりと埋まっていた。席に案内されメニューを注文したが、もうレストランでの注文の手順にも慣れてきたので、ビールとともに前菜としてカキフライ、メインディシュとして生ガキ、デザートでアイスクリームを頼んだ。カキフライは日本のようにパン粉のフライではなく、小麦の衣をそのまま揚げたような感じだった。生ガキは2種類のカキが出てきたが、ウェイターのおっさん(発音にイタリア的ななまりがあった)がこちらが日本人だということをわかったのか「ワサビ、ワサビ」と言ってひとつはわさび味であると教えてくれた。料理の味は、来る前は期待していたが、食べた後は「まあ、こんなものかな」という感じだった。困ったのは、通常アメリカのレストランでは、一組の客に対して一人のウェイター/ウェイトレスがつくため、チップは対応してくれたウェイター/ウェイトレスに直接渡せばいいのだが、ここではウェイターのおっさん以外に、ウェイトレスの黒人の女の子も料理を運んできたので誰にどうチップを渡せばいいかわからなかったことである。結局会計時にサービス料の欄がある請求書を持ってきたので、そこにチップ代を記入して料理代とともに一括して払った。それからここでは、ウェイター/ウェイトレス以外に中南米系と思われる人も働いていて、その人達は水を運ぶことしか許されていないようで、こちらが料理の注文をしようとしても全く受け付けようとしなかった。このあたりに、ニューヨークが階層社会であること垣間見ることができた。レストランで食事を済ませた後は、歩いてホテルへ戻った。その際、私が5年前に宿泊したルーズベルトホテルが、グランドセントラルターミナル駅のすぐ近くにあるため、そこを見に行った。確かに5年前に宿泊した光景そのもので、懐かしかった。ついでだから13年前のニューヨークマラソンのときに宿泊したヒルトンホテルも見に行ったが、これもまた記憶にあり懐かしかった。その他ロックフェラービルに寄ったり(中には入らなかった)しながら、夜のタイムズスクウェアを見て、クラウンプラザホテルへ戻った。それにしても、ニューヨークは世界の大都会というイメージがあり、実際東京は比較にならないほど高いビルが立ち並んでいるが、私が今まで3回訪れたニューヨークで泊まったホテルの間を、全て歩いて行けてしまうのである。例えば単に東京と指定しただけでは何回か泊まったホテルの間を歩いて行き来することは不可能ではないか?(そういうのは新宿や銀座レベルまで範囲を指定しないと無理のような気がする。)そういう意味では、いわるゆるニューヨークと一般的に呼ばれる場所は通常マンハッタン島内を指し、かなり狭い範囲に限定されてると言える。ニューヨーク州は州内を飛行機で移動するほど広いというのに・・・。

ルーズベルトホテル ヒルトンホテル クラウンプラザホテルと向こうに見える繁華街
今回ニューヨークを歩いてきて、歩行者用信号が全て絵での表示になっていたことに気づいた。5年前は全て「WALK」、「DONT WALK」の文字表示だったのにそれが今回ひとつも残っていなかった。今回ボストンでは歩行者用信号のほとんどが絵表示であり、これはボストンだけの事情かと思っていたが、実はそうではないことがわかった。それからニューヨーカーの歩行者用信号を渡るときのマナーについても注意していたが、どの信号でもフライングは行われていて、一人がフライングを始めるとみなそれに続くという感じだった。ただ、渡ってはダメという表示のときに最初から無視してどんどん渡る人はいなかった。確か以前ニューヨークに来たときは、表示にかかわらず歩行者が平気で渡って行っていたような気がするが、以前に比べて歩行者の信号マナーが多少良くなったのだろうか?

歩行者用信号

渡ってよい 渡ってはいけない



4月21日〜4月22日 8日目&最終日

下から見上げるクラウンプラザホテル ニューアーク空港
この日は、アメリカ最後の日。朝起きたらすぐにニューヨークを発ち日本へ向かうので、観光する時間はない。帰りは、日本から来たときと同じニューアーク空港からコンチネンタル航空を使ってのフライトとなる。ニューアーク空港は、マンハッタンの西側のニュージャージー州にあり、ハドソン川下のトンネルを通ってマンハッタンから出て行った。ニュージャージー州側からマンハッタンを見るとエンパイアステートビルが小さく見え、もうニューヨークを後にしてしまったんだと寂しい気持ちになる。ニューアーク空港に着くと、帰りもまた顔写真と指紋を取られた。その後最後のアメリカを味わおうと、ハンバーガーとポテトを食べた後、飛行機に乗った。飛行機はまたしても窓際ではなく機内の真ん中の列で、14時間近い長いフライトの末、日本に着いた。途中、母が機内で免税の腕時計を買うというので、スチュワーデスのおばさんに注文した。母がかつて買った腕時計が後で確かめると壊れていたという苦い思い出があるというので、スチュワーデスのおばさんに箱の中を開けさせて確かめさせるという結構大胆なことを英語で要求してやらせてしまった。(英語でふさわしい単語が思い浮かばなかったので、結局箱を指差しながらボディランゲージでどうにか伝えた。)あと、機内ではSAYURI(アメリカでは題名 Memoirs of a Geisha)が上映されており、機内映画は最新の映画も上映することがわかった。そして成田空港に着き、今回のツアーで親しくしていただいた、TさんやNさんとお別れの挨拶をした後、家へ向かい、今回のツアーを終えた。



<ツアーを終えて>

今回、会社で5年に一回取れる長期休暇を利用して、私としては毎度お馴染みの海外マラソンツアーに参加した。一応、マラソン参加が主目的ではあったが、外国に行き、日本では見られない風景を楽しむことや、日本とは違う生活習慣に触れることも重要な目的であった。そして、ニューヨークとはまた違ったボストンの街並みや生活に触れることができ、初めて見るナイアガラの滝は迫力満点だったし、船から見たマンハッタンの夜景も本当に素晴らしかった。もちろん、ボストンマラソンのレース自体もボストンマラソンの伝統に触れることができて楽しめた。ただ、ボストンは結局半分も回ることができず、不完全燃焼感が残った。そのこともあるし、機会があればまたボストンマラソンには出てみたいと思った。今回、母を誘って一緒に行ったが、満足してくれたようだし少しは親孝行ができたかなと思う。反省点としては、前回経験しているにもかかわらず、海外マラソンを走る際に、自分がどこの国籍の人間か示さないで走ったために、中国人と間違われてしまうことが何回もあったこと。前回もあまり良い気持ちはしなかったはずなのに、この5年という歳月の間にそのことがすっかり意識の中からなくなってしまったために、同じ誤りをまた繰り返してしまった。今回、このことを身にしみて感じたので、今後海外マラソンを走るときは、この誤りは二度と繰り返さないと思う。

それから今回、自分の中で課題として認識させられたのは、英会話力が5年前からちっとも進歩していなかったことを、現地の人との会話の中で思い知らされたことである。英語圏じゃない場所へ行ったのなら、現地の人とのコミュニケーションは考えずにただ、そこの風景や生活習慣を楽しめればそれで満足だと思うが、中学-高校-大学、その後も結構勉強してきた英語を使いこなせないというのは、もったいないと思うし、非常にフラストレーションが溜まる。5年前のニューヨークマラソン参加&滞在日記を読み返してみると、そのときもやはり自分の英会話力のなさに失望し、今後英会話力させたいとの決意が書かれていたが、結局その後英会話力向上への積極的取り組みは何もせずに終わり、英会話力も全く向上しなかった。今回、自分の英会話力が無い理由として次の2点に問題があることがはっきりと認識できた。

    @ネイティブの発音をよく聞きとれないため、現地の人に話し掛けられても半分程度しか理解できない。
    A普段しゃべるトレーニングをしていないために、とっさに適切な内容(単語/文法)を口にできない。

@については、日本でよく売られている標準的な英会話教材や、今回の旅行中もホテルに帰って英語のニュースを聞くとよく聞き取れるので、ネイティブの独特の発音を聞きとれるようなトレーニングを積む必要がある。Aについては、受身の勉強だとどうしても避けがちになってしまうので、(別にしゃべる相手がいなくても)自分で積極的に英語で表現するトレーニングを日頃から積むことで解決できるのではないかと思う。やはり難しいのは@であるが、幸い、5年前に比べて大容量のMP3プレーヤーも登場し、書店やAmazon.com等を探せばネイティブの会話を取り上げたCD付き書籍もたくさん見つけることができ、実践的な英会話力向上に向けた環境はやる気さえあれば整っている。今度は絶対に5年前のように終わらせたくないと思い、上記の課題を意識しながら実際に英会話力向上のための時間を日常生活に確保し取り組んでいる。今度こそは地道に努力を続け、ぜひ英会話力を向上させ、現地の人とのコミュニケーションをスムーズに行えるようになりたいと思う。(英会話学校は、仕事との時間の兼ね合い、費用の高さ、費用に見合った効果への疑問により、現在のところは行く予定はありません。)人によっては、「なぜそこまで英語にこだわるのか?」とか、「たかが英語」、「英語なんて所詮コミュニケーションの道具に過ぎない、もっと本質を磨くべき」とか、「世界には英語以外にもたくさんの言語があるのだから、英語だけにこれだけ力を注ぐのはおかしい」とか、色々な意見もあるかもしれない。しかし、日本人なら義務教育時代から嫌でも英語と付き合わされて来た訳だから、やはりここまでやった以上、他の言語(私の大学時代の第2外国語はドイツ語)を中途半端にやるよりは英語を成仏させたいと思う。(まあ、現実問題「英語を成仏させる=ネイティブ並みの能力をつける」ことは、まず不可能ですが・・・。)そりゃあ、世の中何ヶ国語も使いこなせる言語能力に達者な人もいるが、私にはそのような能力はないのだから、英語に特化したいと思う。また、「たかが英語」といっても、実際その「たかが英語」を自由に使いこなせる日本人は以外と少ない。英語と日本語で、言語構造と発音に大きな乖離があることが原因と思われるが、それだけに使いこなせるようになるには大きな努力が必要とされ、実際には「たかが英語」ではないと思う。そして、単にコミュニケーションの手段に過ぎないといっても、実際にそれを身に付け、普段回りで暮らしている人達とは全く違う世界の人たちと自由にコミュニケーションできたら、それはそれですごく素晴らしいことではないか。今回、アメリカに来て実際に現地の人と接して、そのことを強く感じた。とにかく、こういう課題もこのような機会がなければなかなか認識できないことであるから、そういう意味でも今回自分を見つめなおす良い機会を得られたと思う。


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