2006年ボストンマラソン参加&北米滞在日記 4月18日 5日目
飛行機から降りると、このフライトはアメリカからカナダへと国をまたぐことになるから、再び入国審査があった。アメリカのように指紋を取るようなことはなかったが、ここの審査官に「KANKO(観光)?」と言われたのには驚いた。やはりここトロントは、ナイアガラの滝目当てに日本人観光客が多いということだろう。トロント空港に入ると、アメリカとは違うことに気づく。それは、表示が英語だけでなく、必ずフランス語も併記しているということである。カナダの公用語は英語とフランス語であるが、そうであるということがこのことで実感できる。空港を出てからは、前に述べたとおりナイアガラまでバスで移動する。トロントの方角を見ると独特の形をしたタワーが見え、形も似ているのであの世界で一番高いなCNタワーかなと思ったが、自分の記憶の中ではオタワにある気がしていたので、やはり違うかなと思った。(実は帰国して調べると、これはやはりCNタワーだった。)それからこのツアー、ツアーを通して日本から同行してくれている添乗員さんの他に、現地在住の添乗員さんがその土地土地でガイドをしてくれる。このバスでは、ナイアガラに住んでいるという日本人の男性の添乗員さんがガイドをしてくれたが、この添乗員さんのしゃべりは本当に面白かった。ノリはどちらかというと関西系のノリ(関西弁をしゃべっているという意味ではない)で、バスに乗っている最中、ずっと笑わせてもらった。例えば「カナダ人は子供の頃からジャンクフードばかり食べていて舌が麻痺しているから、日本人みたいに美味しさがわからない。」などの話を聞かせてもらった。文字で見るとカナダ人をけなして嫌なヤツと思われるかもしれないが、これがユーモアたっぷりに話すから、面白い。カナダが嫌いではなく、好きだからこその愛情表現の裏返しという感じを受けた。「カナダでは、運転免許を取りに行くのに自分で車を運転して行き、試験に落ちても自分で車を運転して帰る。(車を運転する資格を取るために試験を受けるのに、その資格がない状況で平気で運転している。)」なんて話も面白かった。こんな話を聞きながら、ナイアガラまで向かったが、ナイアガラまでは結構かかり、1時間ほどして着いた。
4月19 6日目
ジョン・F・ケネディ空港はかつて2回経験があるが、さすがに広すぎて空港の中は記憶にないが、空港からマンハッタンまではかつて通ったのと同じ道だったので、見える風景も記憶に残っているものがたくさんあった。途中に見える奇妙な形をした塔(Flushing Meadows-Corona Park にある塔;USオープンが行われるテニスコートの近く)も相変わらずある。それにしても、ニューヨークは今回で3回目となるが、目の前に迫ってくるエンパイアーステートビルを始めとしたマンハッタンのビル群が近づいてくると、やはりわくわくしてくる。ボストンのおっさんやナイアガラのおばちゃんにニューヨークはダメだと言ってしまったが、やはりそうは言ってもニューヨークというところはやはり人を引き付ける場所である。過去2回は、マンハッタンに入るのにクイーンズボーロー橋を通って入ったが、今回はウィリアムバーグ橋を通って入った。橋の横には高級アパートがあるが、そこにはニューヨークヤンキースの松井選手が住んでいるとのことである。マンハッタンに入った後は中華街を通って南下し、サウスストリート・シーポートでバスを止め、昼食になった。サウスストリート・シーポートというのは、マンハッタンの南のイーストリバー側にある、帆船を展示している会場で、過去2回のニューヨークでもこの場所には気がついてたが、ここで昼食を取ることになるとは思いもしなかった。昼食は、サウスストリートシーポートにあるショッピングセンターの中のフードコートで取った。フードコートには、アメリカン、イタリアン、中華、和食など様々な国のファストフードがあり、それを各自セルフサービスで買って、テーブルに持って行き食べるというものである。ここでは中華の焼きそばを食べようとしたが、あいにく現金がほとんどなく、トラベラーズチェックを使わなければならない状況になってしまった。そして店の人にトラベラーズチェックを使えるかと聞いたところ使えるとのことであったが、それが100ドルであるとわかったところで、拒否された。アメリカでは100ドル札を使うときに不正を嫌がられて拒否されることがあると旅行ガイドに書いてあったが、今回トラベラーズチェックではあったものの、そういうことが実際にあることがわかった。しょうがないから、このツアーで最初に行きの飛行機の中で知り合ったNさんに私の母の分も含めて20ドルを借りて、焼きそばを買った。このNさんには、このツアーを通じて本当にたびたびお世話になった。ここで食べた焼きそばは、こんなファストフードだから当然安いもの(そしてボリュームがある)であるが、なんだか久しぶりにうまいものを食べたように感じた。今までアメリカン料理ばかりで飽き飽きしていたところに、この焼きそばの味はすごく新鮮だった。その後フードコートの裏のバルコニーへ行くと、目の前いっぱいにブルックリン橋が広がっていた。ニューヨークにはマンハッタンと外をつなぐ吊橋がいつくもあるが、そのなかでもレンガ造りで伝統を感じさせるブルックリン橋は一番有名であるが、やはり本当に素晴らしいと思った。
4月20日 7日目 朝起きてホテルの外を見ると、本来明るいはずの8時頃でもどうも薄暗い。実は日が昇っていないのではなく、周りのビルが高すぎるため21階であっても他のビルの陰に隠れていたのである。さすがはニューヨークである。この日は終日フリーの日であるが、次の日は朝から日本への移動となるので観光できる日としてはツアー最後の日となる。まずは、クラウンプラザホテルのすぐ近くにあるタイムズスクウェアへ行った。ニューヨークは今回が3回目であるが、タイムズスクウェアへ行くのは実は今回が初めてである。13年前はニューヨークというとまだ治安が悪いというイメージがあり、タイムズスクウェアに一人で行こうとは思わなかった。(ツアーのオプションでブロードウェイミュージカルを見たので、タイムズスクウェアのすぐ近くに来たはずだが、ニューヨークのことをよく知らなかったので気がつかなかった。)5年前は治安は良くなっていたが、行く機会を逸してしまった。タイムズスクウェアに行く途中にはニューヨークヤンキースのショップがあったが、そこに松井秀喜選手の写真やユニフォームが飾ってあり、松井選手が本当にニューヨークにいるんだと実感できた。タイムズスクウェアに着くと例の有名な交差点の電光広告塔があり、まさにテレビで見る風景そのもので感激した。そして、タイムズスクウェアの電光広告といえばソニーの広告が真っ先に頭に浮かぶので探したが、SONYの文字がどこにもない。反対側の広告塔にもない。もうソニーの広告ははずされ、別の企業のものに代えられてしまったようで、ちょっと残念だった。その代わり日本の企業としては松下(Panasonic;南側)があり、また反対側の広告塔に韓国企業のSAMSUNGが広告を出しているのにはビックリした。(南側からカップヌードルの広告が外されていたことに、日本に帰ってから気づいた。)
タイムズスクウェアの通りを見た後はミュージカル街を歩いた後、歩いてエンパイアステートビルへ行った。エンパイアステートビルは過去2回上っており個人的にはもう飽きていたが、ニューヨーク初めての母には現在のニューヨークの象徴としては絶対に見せておかなければならない場所であろう。そういうことで、個人的には3回目のエンパイアステートビルとなった。その前に朝食を食べていなかったのでピザ屋に入ったが、何の躊躇もなくどんどん入っていった。ツアーの最初の頃は久しぶりの外国で結構おどおどしていたのに、やはり何日もいると慣れてくるものである。ピザのサイズもやはり例に漏れず日本よりもかなりビッグサイズだった。(味はまあまあだった。)その後店を出て、5番街を歩いていきエンパイアステートビルに着くと、やはりすごい行列。結局エレベータに乗るのに1時間かかった。エレベータに乗る直前、降りてきたエレベーターから出てきた若者が何かものを落としてしまい、スーツケースを片手にしていたため自由に身動きできず大変そうだった。その若者は日本語の旅行ガイドを持っていたため日本人だとすぐわかった。それにしてもこの若者、この後もスーツケースを手にしながら旅行先を回ったのであろうか? ご苦労様なことである。その後エレベーターで展望台へ昇ったが、過去2回のエンパイアステートビルは夜だったので、昼昇るのは今回が初めてである。過去展望台から見た風景は夜景で、確かにニューヨークの夜景はきれいなのだが、昼間の風景は夜景では見えない部分も良く見えて、夜景とは違った良さがあった。マンハッタンを斜めに横切るブロードウェイの様子もはっきりとわかった。また、ニューヨークでは、走っている車の半分がイエローキャブである通りもあることが、上から見て認識することができた。
4月21日〜4月22日 8日目&最終日
<ツアーを終えて> 今回、会社で5年に一回取れる長期休暇を利用して、私としては毎度お馴染みの海外マラソンツアーに参加した。一応、マラソン参加が主目的ではあったが、外国に行き、日本では見られない風景を楽しむことや、日本とは違う生活習慣に触れることも重要な目的であった。そして、ニューヨークとはまた違ったボストンの街並みや生活に触れることができ、初めて見るナイアガラの滝は迫力満点だったし、船から見たマンハッタンの夜景も本当に素晴らしかった。もちろん、ボストンマラソンのレース自体もボストンマラソンの伝統に触れることができて楽しめた。ただ、ボストンは結局半分も回ることができず、不完全燃焼感が残った。そのこともあるし、機会があればまたボストンマラソンには出てみたいと思った。今回、母を誘って一緒に行ったが、満足してくれたようだし少しは親孝行ができたかなと思う。反省点としては、前回経験しているにもかかわらず、海外マラソンを走る際に、自分がどこの国籍の人間か示さないで走ったために、中国人と間違われてしまうことが何回もあったこと。前回もあまり良い気持ちはしなかったはずなのに、この5年という歳月の間にそのことがすっかり意識の中からなくなってしまったために、同じ誤りをまた繰り返してしまった。今回、このことを身にしみて感じたので、今後海外マラソンを走るときは、この誤りは二度と繰り返さないと思う。 それから今回、自分の中で課題として認識させられたのは、英会話力が5年前からちっとも進歩していなかったことを、現地の人との会話の中で思い知らされたことである。英語圏じゃない場所へ行ったのなら、現地の人とのコミュニケーションは考えずにただ、そこの風景や生活習慣を楽しめればそれで満足だと思うが、中学-高校-大学、その後も結構勉強してきた英語を使いこなせないというのは、もったいないと思うし、非常にフラストレーションが溜まる。5年前のニューヨークマラソン参加&滞在日記を読み返してみると、そのときもやはり自分の英会話力のなさに失望し、今後英会話力させたいとの決意が書かれていたが、結局その後英会話力向上への積極的取り組みは何もせずに終わり、英会話力も全く向上しなかった。今回、自分の英会話力が無い理由として次の2点に問題があることがはっきりと認識できた。 @ネイティブの発音をよく聞きとれないため、現地の人に話し掛けられても半分程度しか理解できない。 A普段しゃべるトレーニングをしていないために、とっさに適切な内容(単語/文法)を口にできない。 @については、日本でよく売られている標準的な英会話教材や、今回の旅行中もホテルに帰って英語のニュースを聞くとよく聞き取れるので、ネイティブの独特の発音を聞きとれるようなトレーニングを積む必要がある。Aについては、受身の勉強だとどうしても避けがちになってしまうので、(別にしゃべる相手がいなくても)自分で積極的に英語で表現するトレーニングを日頃から積むことで解決できるのではないかと思う。やはり難しいのは@であるが、幸い、5年前に比べて大容量のMP3プレーヤーも登場し、書店やAmazon.com等を探せばネイティブの会話を取り上げたCD付き書籍もたくさん見つけることができ、実践的な英会話力向上に向けた環境はやる気さえあれば整っている。今度は絶対に5年前のように終わらせたくないと思い、上記の課題を意識しながら実際に英会話力向上のための時間を日常生活に確保し取り組んでいる。今度こそは地道に努力を続け、ぜひ英会話力を向上させ、現地の人とのコミュニケーションをスムーズに行えるようになりたいと思う。(英会話学校は、仕事との時間の兼ね合い、費用の高さ、費用に見合った効果への疑問により、現在のところは行く予定はありません。)人によっては、「なぜそこまで英語にこだわるのか?」とか、「たかが英語」、「英語なんて所詮コミュニケーションの道具に過ぎない、もっと本質を磨くべき」とか、「世界には英語以外にもたくさんの言語があるのだから、英語だけにこれだけ力を注ぐのはおかしい」とか、色々な意見もあるかもしれない。しかし、日本人なら義務教育時代から嫌でも英語と付き合わされて来た訳だから、やはりここまでやった以上、他の言語(私の大学時代の第2外国語はドイツ語)を中途半端にやるよりは英語を成仏させたいと思う。(まあ、現実問題「英語を成仏させる=ネイティブ並みの能力をつける」ことは、まず不可能ですが・・・。)そりゃあ、世の中何ヶ国語も使いこなせる言語能力に達者な人もいるが、私にはそのような能力はないのだから、英語に特化したいと思う。また、「たかが英語」といっても、実際その「たかが英語」を自由に使いこなせる日本人は以外と少ない。英語と日本語で、言語構造と発音に大きな乖離があることが原因と思われるが、それだけに使いこなせるようになるには大きな努力が必要とされ、実際には「たかが英語」ではないと思う。そして、単にコミュニケーションの手段に過ぎないといっても、実際にそれを身に付け、普段回りで暮らしている人達とは全く違う世界の人たちと自由にコミュニケーションできたら、それはそれですごく素晴らしいことではないか。今回、アメリカに来て実際に現地の人と接して、そのことを強く感じた。とにかく、こういう課題もこのような機会がなければなかなか認識できないことであるから、そういう意味でも今回自分を見つめなおす良い機会を得られたと思う。 |