ToHome.gif (1910 バイト)

アメリカ・カナダ旅行記 2008


前ページ












5日目(5月2日) カナディアンロッキー到着

早朝のラスベガス空港

空港から見えるルクソールとニューヨークニューヨーク

前に書いたとおり、この日は3時15分がモーニングコールで、4時にホテルを出発した。周囲はまだ暗い。ラスベガス空港(マッカラン国際空港)7時発のバンクーバー行きの便に乗るためで、その際アメリカからの出国手続きに時間がかかる可能性があるため、余裕を見るのだという。この日の朝食は、ツアーから配られたおにぎり2つと缶入り緑茶(伊藤園のおーいお茶)であった。記載されている文字を見ると全て英語だったので、日本から持ってきたものではないことは確かだ。(というか、そもそも添乗員のSさんがそんな大量の荷物は持ってきていたら、すぐわかったはず。)ざっと見ただけであるが、ラスベガスやその周辺でもやはり飲料といえば、水かジュース、牛乳というパターンしかなく、(甘くないものを飲みたいので)仕方なくいつも水ばかり買っていたのだが、ラスベガスのどこかで調達したのだろう。 我々ツアー一行は、空港へはほとんど一番乗りに近い状態で着いたため、出国手続きにもそれ程時間を要しなかった。ラスベガスの出国審査のおっちゃんは、すごく明るい人で、会う人ごとに「How are you today ?」のような言葉で明るく語りかけてきていて、我々日本人のうち挨拶を返す人は決まって「I'm fine.」のような答えだった。そこで、私はこの答えだけでは面白くないと思い、「I'm very sleepy. It's too early.」と答えた。するとこの審査官のおっちゃんは、この答えを大変気に入ったらしく、笑いながら「あなたは全く正しいよ!(英語で何て言ったかは、忘れた)」と返してくれた。出国審査を終え、チェックインを済ませたら、搭乗ゲート付近で搭乗開始時間まで待ったが、まだ搭乗まではかなり時間があり、付近の売店で会社へ持っていくお土産を探したが、結局チョコしかなくアメリカでお土産を買うのは諦め、カナダで買うことにした。それから売店の隣には空港内にも関わらずスロットマシンがあり、これはさすがにラスベガスならではの光景だった。また、ここで待っている間、ピラミッドやスフィンクスで有名なルクソールやニューヨークニューヨークが良く見え、その方角から朝日が昇ってくる風景は意外と綺麗だった。

飛行機から見えるロッキー山脈

動物の模型が特徴的なカルガリー空港

搭乗時間が来て飛行機に乗り込みバンクーバーへ向けて空港を発つと、アメリカはもう最後なんだということを改めて感じた。しかしこれだけ目まぐるしい時間を過ごして来たのに、まだやっと半分なんだということも同時に感じた。バンクーバーに着くと、またしても曇りだった。まあ、ここは滞在地ではないのだから、滞在地さえ晴れてくれれば良いのではあるが。その後は、一直線にカナダの入国審査ゲートまで向かったので、バンクーバー空港は前にも書いたとおり賑やかで、店もたくさんあるにも関わらず、それらに寄る時間は全くなかった。カナダの入国審査を通過して、ようやくちょっと自由時間ができた。この日の昼食は、ラスベガスからカルガリーへ飛行機で移動する途中、各自自分で空港内の店や機内サービスで調達することになっていた。私は、機内サービスでサンドイッチなどを頼むよりか空港内の店で食べた方が良いものが食べられると思ったので、いろいろ探し回ってみたが、あいにくカナダの入国審査ゲートを通過してしまった後はろくな食べ物がないため、しょうがないからサンドイッチを買って、飛行機の中で食べることにした。 バンクーバーからカルガリーへは1時間半のフライト。バンクーバーが曇っていたこともあり、飛行機が上空へ上がったらすぐ周りが雲だけになってしまい、何も見るべきものがなかったが、そろそろフライトの後半にさしかかってきたかなという頃、窓の外にかなりの部分が雪に覆われた、ゴツゴツした山の一群が目に飛び込んできた。時間的に考えても、恐らくこれはカナディアンロッキーなのだろうと思った。そして、この山脈を越えたあたりから着陸態勢に入っていくのだが、なんだかいつもより機体の揺れがひどいのである。なんか機体が空気の上をバウンドしながら下がっていくような感じで、正直ちょっと怖く感じた。添乗員のSさんによると、実はカルガリー空港は世界で2番目に離着陸が難しい空港だとのことで、どおりでそんな思いをする訳である。ちなみに世界で1番離着陸が難しいのはスペインのバルセロナ空港とのことで、どちらもオリンピックが行われたことがある有名な都市であるし、ちょっと意外だった。 カルガリー空港に着いて、スーツケースを受け取りにベルトコンベアの前で待っていると、ベルトコンベアに囲まれたところに、白クマやカバの模型が飾ってあって、なかなかユニークだった。荷物を受け取り、空港を出てマイクロバスに乗ると、今度の運転手は日本人の方だった。バスが走り出し、カルガリーの街の方に目をやると、カルガリータワーが見えた。なんとなくトロントにあるCNタワーに似ているような気がした。トロントからカナディアンロッキーの拠点であるバンフまでは2時間程度だという。朝は早かったし眠かったのでいつの間にか寝てしまい、1時間ほど経って目が覚めると、周りにはもうロッキーの山々があった。草木のない岩肌だけの山々にまだ雪が残り、麓一面には針葉樹林が広がり、その横をきれいな川が流れているというまさにカナダというイメージの風景だった。今までのアメリカ国内のアリゾナ周辺は、見所のある有名スポットでは素晴らしい風景があったものの、その他の場所は基本的に半砂漠状態でどちらかというと殺風景であったが、このカナディアンロッキーは緑と水に恵まれ美しく、心が癒される感じだった。


バンフに着くと、バンフ在住の現地係員KBさんがツアーに加わった。KBさんは、こんな涼しいカナディアンロッキーにいるにも関わらず半袖姿で、元気の良いお兄さんという感じだった。この後、バスはヨーホー国立公園のエメラルド湖へ向かった。途中、カナディアンロッキーの中でも最も印象的な山であるキャッスルマウンテンが右手に見える。形が非常に特徴的で、まるで城のように見えるので、そのように呼ばれている山である。そしてこの山、見る方向によって全然形が違って見えるため、この山を目印にすると迷って帰れなくなってしまうので、先住民の人たちはこの山を迷子の山と呼んでいたという。それからバスで移動する最中、KBさんがいろいろ話をしてくれるが、その中で、自身が日常生活でジョギングをしていると言っていたので、市民ランナーでもある私の心にもひそかに火花が散った---お兄さん、ここにもランナーがおりまっせ!---と。 エメラルド湖へ着くと、びっくりした。なんと、湖の周辺がかなり深い雪に覆われていたのである。積もっている雪の深さは40cmぐらいはあっただろうか。ラスベガスではまるで真夏のような暑さだったのに、いくら長距離を移動するとはいえ、同じような時期にこれほど違う気候を体験するとは、正直ツアーに参加する前は考えていなかった。雪の中に沈まないよう、前に来た人により既に踏み固められた足跡の上をみんなで歩きながら、湖の辺まで行った。湖に着くと、まだ一面氷で覆われていて、あいにくこの湖の色であるエメラルド色に輝く湖は見られなかった。KBさんいわく、ここにはクマ(それもクロクマではなく、獰猛で大きい肉食性の強いヒグマの方)が出るとのことだったが、幸か不幸か、今回はクマに遭遇することはなかった。双眼鏡で湖の周りも見渡してみたが、そこにも見つけることはできなかった。なお、KBさんは以前ジョギングの最中にクマと出くわしたことがあったそうである。

ユニークな形をしたキャッスルマウンテン

まだかなり雪が残る

エメラルド湖
(氷が張っているためエメラルド色ではない)

エメラルド湖畔にある小屋

エメラルド湖から見える美しい風景



ナチュラルブリッジ

カナディアンロッキーで2泊するホテル

エメラルド湖の後は、ナチュラルブリッジへ行った。ナチュラルブリッジは、川の流れによる侵食により岩の下の部分がえぐられ、橋のようになっているところだが、最近は浸食が進み過ぎて岩が分断されかかっているような感じになっていて、もはや橋という感じではなくなってきている。それにしてもここを流れる川の色はエメラルド色をしていて本当に綺麗であった。ナチュラルブリッジを見た後は、バンフで宿泊する宿舎へ向かった。宿舎に着くと、三角屋根のある一見木造風の建物があり、これが今回泊まるスプルースグローブ・イン(Spruce Grove Inn)というホテルである。今までアメリカで泊まったホテルに比べると、いかにもカナディアンロッキーにある建物という感じがする。また、今回のツアーはでこのホテルを除いて全て1泊であり、このホテルのみ唯一2泊である。それから、ホテルのロビーに入ったとき、日本人と思われる知らない人が日本語で挨拶してきたので、「この人いったい何者?なんだか不審人物だなあ」と思いつつ、挨拶に応えた。 ここでの夕食は、2日ともホテルのレストランでツアーのみんなで一緒に取ることになっている。一旦部屋に寄った後、夕食を取るためにレストランへ向かった。この日のメニューは白身魚のソテーなどだった。夕食を終えた後は、レストランのすぐ横にリッカー・ショップがあるというのでビールを買おうと行ってみたが、既に閉店時間になっており買うことができなかった。アメリカならコンビニなどで比較的気軽にお酒を買うことができるが、カナダではなかなかそうは行かないようである。その後、部屋でテレビをつけると、なんと落語がやっていた。今までの経験でアメリカでは日本語の放送は見たことがなく、今回のラスベガス、グランドキャニオンでもやはりなかったが、2年前にナイアガラのカナダ側へ行ったときにも日本語放送があったので、日本語放送を流すというのはカナダ共通のことなのかもしれない。この後は就寝だが、翌朝は8時半出発で、ここ連日の3時間睡眠から久々に開放されてよく寝れそうである。



6日目(5月3日) カナディアンロッキー観光の1日

トランスカナダハイウェイ

アニマルオーバーパス

Shyuzouさんと私の母

ここまで連日3時間前後しか睡眠を取れない中、この日は7時間以上寝ることができ、久しぶりに天国のようだった。朝食を取った後、この日はバスでカナディアンロッキーを縦断するが、バスに乗り込むときに、前日挨拶された日本人と思われる不審人物も一緒に乗り込んできた。実はこの人はShyuzou M.さん(元プロテニスプレーヤーで有名なあの松岡修造さんではありません)という方で、このツアーでのこの日のカナディアンロッキーの映像撮影担当のため、我々に同行したのだとわかった。このShyuzouさん、元甲子園球児というちょっと変わった経歴の持ち主とのことである(もっとも次の打順を待っているときにに交代させられたので、甲子園の打席には立てなかったとのこと)。現在はカナダ在住とのこと。またバスの運転手も日本人の方で、カナディアンロッキーのスタッフは全員日本人で固められたことになる。 この日のコースは、ハイウェイを通って、を通りながらロッキー山脈沿いに北上し、途中レイク・ルイーズなどに立ち寄りながら、最後コロンビア大氷原を訪れるという流れになっている。ハイウェイのうち、バンフからレイク・ルイーズまではトランスカナダ・ハイウェイを通り、そこからコロンビア大氷原まではアイスフィールド・パークウェイを通る。トランスカナダ・ハイウェイは、カナダを大西洋から太平洋まで横断している全長7000kmにもわたるハイウェイで、1本の道路としては世界最長とのことである。アイスフィールド・パークウェイは、レイク・ルイーズからジャスパーまでの全長230kmのハイウェイで、カナディアン・ロッキー観光のゴールデン・ルートと呼ばれている。ハイウェイに入ると、最初に目に入ってきたのがハイウェイの上をまたがってかかっている橋で、アニマルオーパーパスという野生動物専用の橋である。このハイウェイにより移動が分断されてしまった野生動物が車に邪魔されることなく自由に行き来できるようにするために作られたのだそうだ。そして前日も見たキャッスル・マウンテンがやや離れた後方に見え、すぐ後ろにボウ川が流れている地点にバスが止まって、みんな降りた。バスから降りるとShyuzouさんがカメラを向けてきて、「朝のご気分はいかがですか?」と聞いてきたので、キャッスルマウンテンをバックに「最高です。寝すぎましたよ!」と答えた。(そしたら後でShyuzouさんから買ったDVDにしっかりとこの場面が映っていた。)この地点では、私の母親がビデオを持って撮っているところをShyuzouさんが来て撮りはじめ、お互いを撮り合っていて面白かった。

レイク・ルイーズ(ここも氷が張っている)

シャトー・レイク・ルイーズ

クロウフット氷河

この地点を発ってしばらくすると、レイク・ルイーズへ着いた。湖の名前にある「ルイーズ」とは、ビクトリア女王の娘、ルイーズ王女からとったのだという。ここも雪が積もっていて、湖面は氷で覆われていた。レイク・ルイーズはエメラルド色をした、カナディアンロッキーの中でも一番美しい湖のなだそうだが、時期が時期だけにここではまだ雪が溶けていないため、その美しい色をした湖が見れず、残念だった。しかし、湖の奥にビクトリア氷河が見える風景は素晴らしかった。湖畔には、シャトー・レイク・ルイーズという見た目も高級そうなホテルがあるが、カナダを代表する高級リゾートホテルとのことである。それからここで、現地の人かどうかはわからないが、スキー板を担いだ親子連れが我々と一緒に一緒に湖に向かい、何をするかと思ったらいきなり湖の上に張ってある氷の上へ飛び出し、滑って行った。これには、ちょっとビックリした。また、ここにも我々とは別の日本人ツアーが訪れていて、カナディアンロッキーにも日本人はよく訪れるんだなと思った。

ボウ湖

ボウ湖の氷の上でみんなで記念撮影

クロッシング

レイク・ルイーズを出ると、クロウフット氷河という、カラスの足の形をした氷河が見られる地点でバスが止まり、そこでみんなバスから降り、写真などを撮った。そして偶然にもここには野生のカラスが我々の近くに止まりガーガー鳴いていたので、カラスの足の形をした氷河をバックに本物のカラスと、なかなか面白いシーンが出来上がった。ちなみにこのクロウフット氷河は、以前は3本あったのが、温暖化のため1本が欠け落ちてしまったとのことである。それにしても、カナディアンロッキーは、山々が雪に覆われていて、本当にまぶしい。正直、ずっと目を開けているのが辛いぐらいだった。カナディアンロッキーを回る前、まぶしいのでサングラスを買っておいた方が良いと勧められたが、私は風景は直接自分の目で見るべきで、サングラスなど邪道だと思ってその忠告は聞かなかった。しかし、想像以上のまぶしさに、このときになってかなり後悔した。この後、最後はコロンビア大氷原に行き、これよりもよっぽど光の反射があるかと思うと、気が重くなってきた。ちなみに、バスの窓には紫外線遮断のフィルムが貼ってあるため、バスに乗っているときは大丈夫である。 ここを出ると、今度はボウ湖という湖に立ち寄った。レイク・ルイーズは、ハイウェイからは少し離れた場所にあったが、このボウ湖はハイウェイのすぐ横に面している。ボウ湖は、ハイウェイのすぐ脇を流れているボウ川の源とのこと。ここもレイク・ルイーズ同様氷が張っていた。レイク・ルイーズのときは、ただ岸から湖を眺めるだけであったが、今度はツアーのみんなで湖面の氷の上に立ち、写真撮影などをした。ここも湖の奥にボウ氷河が見え、湖の氷の上に立っただけにレイク・ルイーズとは違った迫力があり、印象に残った。


ボウ湖を出ると、トイレ休憩のためクロッシングという土産物屋(ホテルもあるらしい)へ寄った。ここでまず真っ先に行なったのが、サングラスを買うことだった。とにかくあのまぶしさには、もう耐えられない。結局、24カナダドルのサングラスを買った。この後バスに戻ろうとすると、我々のバスのすぐ横に止めていたバスの運転手さんが、私が着ていたボストンマラソンのウィンドブレーカーを見て、英語で「ボストンマラソン出たんですか?」と聞いてきたから、「2年前に出ました。」と答えた。やはりボストンマラソンというロゴが気になったんだろうか? クロッシングを出てしばらくすると、ビッグホーンシープという角が後ろにカールしている野生のヒツジ1頭がハイウェイに出ているのに出くわした。このツアーでは今まで野生動物というと、モニュメントバレーのトカゲ、グランドキャニオンのリスと、あとカラスしか出会わなかったので、やっとこういった大物に出会えて満足した。その後、北米最大のヘアピンカーブというビッグベンドを通過したのち、ビッグヒルという地点でバスが止まった。ここは丘の上にあり、ここからちょうど山と山に挟まれた谷を見渡せる展望台となっていて、ここから見る風景は、まさにカナディアンロッキーならではというものだった。山が昔、氷河の流れによって削られたとハッキリわかるような形状で、昔ここを氷河が流れていたんだと想像できた。日本では絶対見られない風景だ。ここは昔、マリリン・モンローが主演した「帰らざる河」という映画の冒頭シーンに使われたそうである。

ビッグヒルから見える風景

ビッグヒルを出てそれ程しないうちに、最終目的地であるコロンビア大氷原への入口となるアイスフィールドセンターへ到着した。ここからコロンビア大氷原へ向かうバスが出ているほか、食堂や土産物屋などがある。まずここで昼食を取った(またビュッフェ形式の食事;今回のツアーはビュッフェ形式が本当に多い)後、バスに乗ってコロンビア大氷原へ向かった。といっても、我々が実際に行くのはコロンビア大氷原ではなく、コロンビア大氷原から流れ出ている氷河の一つのアサバスカ氷河である。(コロンビア大氷原へ行くには困難すぎて、一般の観光客は行けないとのこと。)コロンビア大氷原は、北極圏を除けば、北半球最大の氷原だそうである。バスには、偶然にも日本人の他のツアー、しかも同じJTBのツアーの人たちと一緒に乗り合わせた。ここからは、他のJTBのツアーの添乗員さん(女性)がいろいろ解説を行なってくれた。この添乗員さんがさかんに今日は天気が良くてよかったことを強調していたが、吹雪が吹いてここにこれないこともあることを考えると、この日は空が晴れていて、確かに良かった。アサバスカ氷河までは、バスで途中まで行き、それからは普通のバスで行くのは無理なので、雪上車に乗り換えた。雪上車のタイヤは本当に大きく、直径1.5mはありそうだった。これで20度近くある急坂を登り、目的地のアサバスカ氷河へ到着した。雪上車から降りアサバスカ氷河の上に立つと、四方八方が真っ白で周囲は切り立った山に囲まれていて、青空と相まってこれも素晴らしい景色だった。アサバスカ氷河の奥は、氷河が向うから流れ出ているようになっていて、あの奥にコロンビア大氷原が広がっているんだなと思った。それにしても、途中でサングラスを買えて本当に良かった。サングラスがなかったら、ずっと目を開けていることはできなかっただろう。このアサバスカ氷河、昔はアイスフィールドセンターの目の前まであったのが、どんどん後退して今はバスと雪上車を使わないと行けない位置(1kmほどあるか?)まで後退してしまったとのことである。こういうところに来ると、地球温暖化が現在確実に進んでいるということが実感できる。

アイスフィールドセンターから見たアサバスカ氷河
(昔は氷河が手前まで来ていたが、温暖化のためここまで後退してしまった。)

アイスフィールドセンター

雪上車が通る雪上のルート

雪上車の中の様子

雪上車をバックに両親と

アサバスカ氷河上でみんなで記念撮影

アサバスカ氷河観光が終わった後は、この日来た道をそのまま戻るだけ。一回来た道を引き返すだけなので、寝ている人もかなり多い。来る時は、回りに見えるロッキー山脈や湖などの風景の美しさに気を取られて気付かなかったが、帰りは道がガタガタのせいか、結構振動が激しいことに気付いた。途中、ビッグホーンシープの今度は群れに出くわして、来たとき以上に楽しめた。それから、アサバスカ氷河を出てから1時間もしないうちに空が曇ってきた。天気予報によると翌日から天気は悪くなるようで、そうするとカナディアンロッキーの美しさも半減してしまうだろう。本当に良いタイミングでカナディアンロッキーに来たのだと改めて実感した。それからShuzouさんが、この日撮影した映像をDVDにするというので、この帰りの機会にその予約を始めた。日本円で1万7千円、カナダドルで150ドルだったが、私はカナダドルで支払うことにした。ところが全くの偶然にも、私が持っていたカナダドルは149ドルしかなかったのである。米ドル1ドル紙幣はあったので、残りはどうにかこれで勘弁してもらった。 バンフへ着くと、ホテルへ戻る前にバンフの町を観光した。まず、日本人(もしくは日本から移住した人)が経営している土産物屋が紹介されたので、そこで土産物をしばらく探していくつか買った。職場の人のために買うお土産はどうしても食べ物中心になってしまうが、アメリカではほとんどチョコしかなく、マンネリになってしまう。2年前のナイアガラのときもそうだが、カナダだとこういう日本人系の店がありチョコに偏らずに済むので、またカナダで職場のお土産を買ってしまった。(買ったのはカナダ限定のメイプルシロップのプリッツ。)その後、バンフの町をふらっと回ったが、高いビルもなく小奇麗で落ち着いていて、住みやすそうな所だな感じた。それから、バンフにも大橋巨泉のOKショップがある(2年前のナイアガラでは見た)とのことだったが、気がつかなかった。

帰るときに見た風景

帰りに出会ったビッグホーンシープの群れ

バンフの町並み

バンフの町を見た後は、ホテルに戻ってホテルのレストランでツアーのみんなと食事を取った。メニューはこの地方の名物というアルバータビーフだった。肉はすごくやわらかかったが、特別美味いというわけでもなく、まあまあかなという味だった。それからツアーも始まってからだいぶ経ち、メンバーもそろそろ顔を覚えてきた頃で、自分達のことをそれぞれ紹介したりと、かなり盛り上がった。食事の後は、この日は隣のリッカーショップがまだ開いていたので、早速ビールを買った。その後、ホテルの目の前の道を挟んで向かい側に、日本料理屋と土産物屋があったので、ちょっと寄ってみた後部屋に戻り、前日は飲めなかったビールを一缶飲んで、この日を終えた。翌日はカルガリーから、ナイアガラへのカナダでの最寄の空港があるトロント行きの朝早い飛行機に乗るため、3時がモーニングコールである。また早起きしなければならない。

夕食で食べたアルバータビーフ

盛り上がった夕食の様子

ホテルの向かいにある日本料理屋



7日目(5月4日) 2年ぶりのナイアガラの滝

早朝のカルガリー空港内
(まだ人がほとんどいない)

カルガリー空港から見る日の出

この日はまた早起きに戻り、3時に起きた。すると異変に気付いた。自分のスーツケースの一方のロックの根元が折れていたのである。実は今回のこの旅行に合わせて、インターネットで最大サイズレベルのスーツケースを1万円を切るという格安の値段で買ったのだが、やはり安物を買ったせいなのかなと、このとき思った。(私の父親が全く同じタイプのスーツケースを購入したが壊れなかったし、後で店で売っているスーツケースを見ると、高いからといってこの部分の作り/材質が同じものもあり、必ずしも安物だから壊れたわけではないと確認した。)しょうがないから、ベルトでこれをカバーした。ホテルのロビーでは、Shuzouさんから、予約したDVDを早速渡された。前日撮影したばかりなのに、すごい早さだ。徹夜でもしたのだろうか。ホテルを出たのは4時前で、まだ外は真っ暗。その後はカルガリー空港目指してバスでひたすら進んだ。外が真っ暗で何もすることがないだけに、このときも路面の悪さから来る振動がすごかったことが気になった。 2時間かけてカルガリー空港に着くと、空港内にはまだ人がほとんどいない。搭乗手続きを済ませてロビーで搭乗を待っていると、ラスベガスを発つ時と同じように、また空港で日の出を見ることができた。搭乗時間が来てトロント行きの飛行機に搭乗すると、トロントまで4時間という中途半端なフライトとなる。そしてトロントは時差が2時間進んでいるから、現地へ着くと時計が6時間進むことになる。この感覚は、日本では味わえない大陸ならではのものであろう。この日の昼食は、朝ホテルを出る前にツアーのみんなに配られた弁当を機内で食べた。中身は牛の焼肉に米という日本でも食べられるような典型的な弁当で、Sさんがバンフで調達したんだろうなと思った。そういえば、バンフには日本人向けの食料品店もあった。フライトも終盤に近づくと、窓の外に湖が見えてきた。何湖かわからないが、アメリカ五大湖のひとつであることは間違いない。一見するとまるで海のようだ。そしてトロントへ着いた。トロント空港は2年前にも来たことがあるのだが、そのときは空港の印象はほとんどなかった。しかし今回は、バンクーバー空港とはまた別のすごく賑やかな空港だなと思った。正直、空港内をブラブラ見回りたかったのだが、時間がないのでナイアガラ行きのマイクロバスまで直行した。

カナダ滝の裏へ通じる通路

カナダ滝の裏
(ただ白いだけで他に何も見えない)

カナダ滝の真横で両親と
(水しぶきがすごい)

ナイアガラまでは、2年前も往路はトロントからナイアガラまでというルートだったので、同じような風景を目にしながら目的地へ進んだ。そしてナイアガラへ着くと、現地の係員の方がバスへ乗ってきた。今度の係員は女性の方でかなり年配で、かつかなり古風なしゃべり方をする方だった。そして、バスはそのままどんどん滝へ近づいていって、ついに窓の外に滝が見えた。相変わらず、その迫力は色あせていない。それとともに、2年前に宿泊したシェラトン・フォールズビュー(Sheraton Fallsview)が見え、懐かしいというにはあまりにも短期間すぎる気はするが、やはり懐かしかった。それにしても、2年前にナイアガラへ来たときは、まさかたった2年後に再びここに来るとは思ってもみなかった。バスはそのまま滝の上流へ向かって行った。2年前にきた時はこちらへは全く来なかったので、新しい風景だ。そのうち、係員さんが滝の上流に昔難破した船がそのまま放置されているという話をした。この話は2年前には全く聞かなかった話なので、「へーっ、そんなものが滝の上流にあったのか。」と思った。それから、滝が流れ落ちる水量は、1秒間に象千頭が転げ落ちるのに相当するとのこと。この例えに、Sさんはえらく感心していた。 滝上流から戻ってくると、カナダ滝の裏側へ行くことになった。実は何日か前に、ナイアガラの観光予定に霧の乙女号に乗るが滝の裏側へ行く予定はないことを知り、私と母が2年前に既に霧の乙女号には乗っていて、今度はまだ行ったことのない滝の裏側へ単独行動でもいいからぜひ行かせてくれないかと相談したのだが、観光は霧の乙女号の後もいろいろ回るコースが決まっており、単独行動されたら困ると半ばこの相談は却下された。もう2度と来ることはないかもしれないナイアガラなので、この機会を逃すのはあまりにももったいないと思いつつ、しかし集団の規律を自分勝手な思い出乱すのも良くないと思い一時は滝の裏側へ行くのを断念した。ところが事態は一転して、滝の裏側と霧の乙女号両方へ行けることになったのである。どうやら我々ツアーのメンバーの規律がよく守られていて時間に遅れることはないため、時間が余ったから実現できたとのことである。ひょっとしたらSさんに無理をさせてしまったかもしれないが、しかしこちらとしてはメデタシメデタシである。 滝の裏側へは、カナダ滝のすぐ横にある建物の中からエレベーターで移動した。エレベーターから出ると、滝からのしぶきを避けるため、霧の乙女号と同じくポンチョをかぶるが、青色の霧の乙女号のポンチョと違って今度は黄色である。とにかく、また自分のコレクションが増えた。ここからは黄色ががったライトに照らされてはいるが薄暗い地下道を通って行った。通路はかなり濡れれている。そしてついに滝の裏側の目の前まで来た。2年前にナイアガラを訪れたときに、もし次ここへ来る機会があったら、絶対行ってみたいと思った場所だ。ところが実際にそこへ来てみると、目の前に見える光景は、通路の先が滝の水にふさがれて、ただ白いだけである。迫力も何も感じる余地すらない。まあ、滝の裏側というのはこういうものなのだろう。Sさんがさかんに霧の乙女号に乗れることのありがたさ(冬は運行せず、ちょうどこの時期が運行開始するかどうか微妙な時期なのだという)を強調していた意味がわかったような気がした。ただ、このあと地下道を通って滝のすぐ脇へ出て、そこから滝を眺めたときは大満足だった。滝から吹き付けるしぶきはものすごく、それに耐えながら間近に見る滝は大迫力だった。これは見る価値があった。とにかく滝の裏側を含めて、一度体験しないことには実情はわからない。結果的にがっかりだったかもしれないが、もし今回ナイアガラの滝の裏側を見る機会がなかったから、これから何年も「あのとき滝の裏側を見ておけばよかった。」と引きずっていたと思う。

今回も乗った霧の乙女号

にぎやかなナイアガラ下流側の町

今回乗った観覧車

観覧車から見えるカナダ滝

滝裏見学の後は、霧の乙女号へ乗った。霧の乙女号は2年前も乗ったが、今回もそのときと変わらず、すばらしい迫力と幻想的な風景を体験できた。やはりナイアガラへ来たら、霧の乙女号はぜひ体験すべきだろう。とにかく、この霧の乙女号を含めて、たった2年前に来たばかりで、ひょっとしたらもう新鮮味が全くなくなってしまっているかとも思っていたが、今回も十分楽しめた。やはり本物の迫力は2回目も色褪せないようである。霧の乙女号の後は、滝の下流のワールプールへ寄った。2年前もここへ寄ったが、今回は対岸だった。その後世界で2番目に大きいという花時計のそばを通ったりと、2年前は来たことがない場所を回り、日本人系の人が経営する土産物屋へ寄った後、ホテルへ着いた。この日宿泊するホテルは、スカイライン・イン(Skyline Inn)というホテルで、滝からはちょっと下流にある。 ホテルの部屋に荷物を置いた後は、観覧車から滝を眺めた後、クラウンプラザホテル(Crowne Plaza)にある滝を展望できるレストラン(スカイライン・インからは滝は見れないため)での夕食という予定である。スカイライン・インから観覧車あたりの一帯はすごく賑やかであり派手で、カナダというよりはまるでアメリカの町のようだった。2年前にナイアガラへ来たときは、カナダ滝のやや上流辺りのホテルに泊まったため、行動範囲もカナダ滝の真横あたりで、カジノの建物などはあったもののあまり人で賑わっているとはいえなかったので、このように賑わっている場所があることにちょっと驚いた。観覧車に着き、これに乗ってやや上昇すると、滝が見えてきた。するとカナダ滝とアメリカ滝を含めたナイアガラの全貌が見えてきた。観覧車はカナダ滝からは1kmほど下流にあるが、これがまた間近で見るのとは違った良さがあった。最初は観覧車なんて子供だましみたいだと少々馬鹿にしていたところがあったが、終わってみれば予想外に良いものを見せてもらった感じだ。この後は、展望レストランで食事を取るために、クラウンプラザホテルへ向かった。レストランに入って席につくと斜め横にナイアガラが見え、ほぼ目の前には、カナダとアメリカをつなぐ橋であるレインボーブリッジがある。レインボーブリッジの向うのアメリカ側には、2年前も気になったネオンが綺麗な不思議なビルも見える。夕食のメニューであるチキンステーキを食べながら眺めるライトアップされた滝もまた素晴らしかった。夕食の後は、希望者のみでライトアップされた滝を近くまで見に行くことになったが、日が沈んだ後のナイアガラは予想外に寒く、ここの気温を甘く見て薄着で来てしまった自分は、とてもこの寒さに耐えられそうもなく、これに加わるのはやめてそのままホテルへ帰った。 ホテルへ帰った後は、2年前に泊まったシェラトン・フォールズビューのように部屋から滝が見えるわけではないので、2年前のように部屋から滝を眺めて優雅にくつろぐわけにはいかない。ライトアップされた滝を見に行けなかったこととこのホテルから滝を見れないこともあり、翌日は早朝に起きて朝食前に滝を間近に見に行くことに決めて寝た。

夕食で食べたチキンステーキ

展望レストランから見える
ライトアップされたアメリカ滝

レインボーブリッジ
(レストランのすぐ目の前に見える)

アメリカ側に見えるネオンが綺麗なビル



8日〜9日目(5月5日〜5月6日) 帰国

早朝のナイアガラ脇の道
(しぶきで路面が濡れている)

早朝目の前まで見に行ったカナダ滝

この日のモーニングコールは7時15分であったが、予定通り6時前に起きて滝を1人で見に行った。滝の脇にある道に来ても、昼と違ってほとんど人がいない。滝から吹き付ける水しぶきで濡れた路面を歩きながら、ホテルを出てから20分ほどかかってカナダ滝の横に到着した。ここにも周りに人がいないだけに自分一人で滝を独占しているようで、なんだかすごく気持が良い。今まで回ってきたモニュメントバレー、グランドキャニオン、カナディアンロッキー全て、ホテルから目的地へ行くまでにはバス等を使わなければならず、ツアーの場合は団体行動なのでどうしても行動に制約ができてしまうが、ナイアガラの場合はホテルが滝のすぐ近くにあるため、今回のように朝早く起きて自分の自由時間を作れば、このように自分の好きなように楽しむことができる。ナイアガラの利点のひとつはここであろう。滝を眺めていると、滝のすぐそばにあった、2年前に昼食を食べた展望レストランが改装工事中であることに気付いた。ここからの眺めも絶好なだけに、今ここで食事できないのはちょっと残念な気がした。 滝から戻って朝食を取ると、このツアーの最後の観光地であるナイアガラを離れることになる。トロント行きのマイクロバスに乗り込むと、サービスで滝の脇をもう一度走ってくれた。観光名所を見るのはこれが最後なだけに思わぬサービスだった。そしてナイアガラを発ち、トロント空港へ向かった。普通なら、もうバスでひたすら空港へ向かうのみであったが、ここで思わぬ展開が訪れた。Sさんが、今回のツアーのメンバーは規律がしっかりしていて朝の集合時間に遅れたことも一度もなく、非常にまとまりのあるメンバーだったと誉めてくれたのである。そして私の父が、今回のツアーでメンバーがこれだけ親しくなれたのに、これで終わりにしてしまうのはもったいないので、今後も交流を続けていきたいと、今回のツアーの事務局を買って出たのである。これにはツアーのみなさんが賛成で、最後のバスの中で思わぬ盛り上がりを見せた。 トロント空港に着いてからは、いよいよ成田空港への直行便へ乗るのみである。成田行きの便が到着するまでは、このツアー最後となってしまう外国の地を噛みしめるように、搭乗口付近のロビーの様子や、その辺りにある店の様子をじっくりと見た。そして搭乗時間が来て、成田への直行便へ乗りこんだ。今までの海外旅行だと、日本への(あるいは日本からの)直行便で窓際に座ったことは一度もない。今回のツアーでも最初から窓際は諦めていたのだが、今回は違った。今回は元々Kさん夫妻と同じ列の座席の通路側になっていたのだが、Kさん夫妻の娘さんが何列か前の窓際に座っていたので、日本までこれから13時間もどうせならKさん家族家族全員で過ごしたほうがいいのでは、と提案したところ、Kさんたちもそちらの方がよいということになったので、Kさんの娘さんと座席を代わってもらった。(決して、Kさんの娘さんから窓際の席を奪取するために画策したのではありませんよ(^^;))

宿泊したスカイライン・イン

トロント空港の搭乗ロビー

ということで、トロントから日本への帰りは、飛行機の窓際に座れることになったのだが、結果的に、このことがこの旅行へ最後の最後、個人的にプラスアルファの観光をもたらしてくれることになった。普通は左右何も見えない座席に座ってしまうと、社内放映している映画等を見るしかなくなり、もうそこで観光は終わってしまうが、窓際ならば、天気がよければ飛行機から地上を見ることができ、場合によっては普通では見れないような風景を見ることができ、これはたとえツアーの観光予定に入っていなくても、結果的には予定外の観光をしたことと同等となる。今回のケースがまさにそうだった。まず、トロントから離陸すると広大なカナダの地を下に見ることになるが、ある意味これはどこででも見れる風景だ。そのうち、奇妙な風景が見えた。何か、氷を地面に落として割れたものが海上に散らばっているような風景が見えた。そのうち海上における氷の塊が占める面積が大きくなってきて、ついには一面が氷になり、ところどころの隙間に僅かに海が見えるようになった。トロントから日本までの空路を考えると、ここはおそらく北極の上であろう。それにしても、このような風景を飛行機の上からじっくり見れたのは今回が初めての経験である。この間、ずっと目はこの風景に釘付けになっていた。 そのうち、機内食の時間になった。例によって「Beef or Chichen ?」と聞いてきたので、「Beef」の方をもらった。そして中を開けてみて、ビックリ。なんと中身は牛丼だったのだ。まさか国際線の機内食に牛丼が出てくるとは思ってもいなかったが、この便は日本からバンクーバーへ来た時と同じくANAとタイ航空との共同運航だったので、機内食も日本人の嗜好に合わせたのかもしれない。食事の後しばらくすると、もう機内の窓の日よけも閉じなければならなくなり、窓の日よけを閉じ、それからは機内で放映している映画を見たり、随時睡眠を取ったりして過ごした。途中間食が出されたが、このときはなんとカップヌードルが出てきて、またまた驚いた。(カップヌードルの標準品ではなく、チキン味という日本では食べたことのない味だった。)その後、今度はチキンの機内食(これも米ベースの食事だった)を取った後、いよいよ13時間にわたる長いフライトも終わりに近づいてきた。窓の下に日本の海岸線が見えてきた。日本の陸地を見て気付いたのは、田んぼがすごく多いということだった。これはアメリカ大陸では見られない風景だ。そして成田空港へ着いた。成田でSさんと挨拶した後、たまたま最終目的地が同じだったIさん夫妻と一緒に同じリムジンバスに乗って、そこで別れてこの旅行を終えた。

飛行機から見える海上の氷の塊

飛行機から見える一面の氷

機内食で出てきた牛丼弁当

機内の間食で出てきたカップヌードル



<旅行を終えて>

私は今までの海外旅行は、ニューヨークマラソン2回、ボストンマラソン1回と、必ずマラソンに関連したものだった。マラソンと関係ない海外旅行は今回が初めてである。今まではマラソン参加がメインで、そこの都市に滞在する中で観光をするという形になっていたが、今回は大自然を観光するツアーで、しかも観光する地が各々離れているため、そこを移動しながらの観光になり、今までとはかなり趣が違った。それと今回は両親を誘っての参加であり、両親が果たして旅行について満足してくれるかということも、気になっていた。旅行が始まった当初は、2日目のバスの故障による名もわからぬ地での長時間の立ち往生という思わぬアクシデントに遭遇し、この後どうなることかと思った。しかし、そのおかげだかどうかはわからないが、以降は連日天候に恵まれ、どの場所でも景色を十分堪能できた。それからバスのアクシデントも、結果的にはツアーのメンバーが早く打ち解けるきっかけになったような気がする。両親については、2年前にボストンへ一緒に来た母はともかく、アメリカが今回初めての父は、最初の頃は慣れない入国審査や慣れない習慣に少々戸惑い気味のようだったが、じきに慣れたようで、途中からは十分楽しんでいる様子が伝わってきた。連日の睡眠3時間の強行軍は親にはきつかったと思うが、今でも親と会うと、この旅行の話題はよく出てきて楽しそうに話すし、十分満足してくれたようで本当に良かった。 それから、7年前のニューヨークマラソンのときも2年前のボストンマラソンのときも、現地で英語を満足に使えずもどかしい思いをし、今後の英語の勉強への決意を述べているが、そういうのは今回はない。確かに、2日目の故障のあったバスの運転手のジェームスさんらと満足な会話ができた訳ではないが、しかし、今は英語の勉強はコンスタントに継続しているし、英語の習得というのはそうたやすいものではないということは、ネットなどから得る情報や自分の体験からも分かっているので、それで今そのような状態ならしょうがないと思っている。残念ながらTOEIC等の試験の結果には今のところ反映はしてはいないが、英語の勉強を継続していることにより、以前よりも格段に英語を聞き取る能力が向上していることは実感はしているので、そう悲観はしていない。このまま継続していけば、いずれはある程度ものにできるのではと考えている。海外旅行のたびに、毎回毎回このような堅苦しいテーマを自分に課すのも、ちょっと面白くないので、今回はそういう縛りから解き放たせてもらった。

今回ちょっと残念だったのは、ツアーのスケジュールがキッチリ決まっていたので、自由時間があまりなかったことだろうか。自由時間が多いと、自分でどこへ行くか計画を立て、何か分からなければ現地の人に英語で話しかけて聞いたり、レストランなら英語でメニューを注文したりと現地の人と触れ合うことができるが、今回はそういう機会はあまりなかった。まあしかし、あれだけの観光地をこの短い期間の中で移動しなければならなかったのだから、これはしょうがないだろう。むしろ、あれだけの観光地をこの短い期間に回れたのは、睡眠3時間の強行軍が連日続いたとはいえ、ルートを熟知したスタッフが計画したツアーでなればできなかったと思う。我々が単独で計画したならば、同じ日数で半分も回れず、お金は倍かかったかもしれない。それと、このツアー中ずっと同行してくれた添乗員のSさんは、今まで会った添乗員の中でもプロフェッショナル意識が強い人だった。このツアーが結果的に満足行くものになったのは、Sさんの存在も小さくなかったと思う。ちょっと強硬スケジュールで若干詰め込み過ぎで余裕がないところもあったが、これだけの自然を堪能できまたラスベガスという都市も体験できて、2度目の訪問となったナイアガラにも新たな発見があって退屈しなかったし、またバスの故障による見知らぬ地での立ち往生という普段のツアーでは経験できない貴重な体験もあり、両親も喜んでくれたのを含めて自分にとっても本当に意義ある旅行ができたと思う。


前ページ