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マラソンサブスリー達成報告

荒川市民マラソン
2003.3.23

2003. 6. 22

種目 : マラソン
記録 : 2時間59分22秒
ネットタイム:2時間58分58秒(自己新記録)

従来記録 : 3時間07分19秒(グロスタイム;スタートロスは23秒)
2002.3.24 荒川市民マラソン

陸連登録の部187/784位 (参考2:59:22 → 一般の部で 169/9691位)

スタートロス 24秒

通過地点 通過タイム ネットタイム 1kmごと 5kmごと 10kmごと
1km 0:04:47 0:04:23 0:04:23 0:20:30
(0:04:06)
 

0:41:05
(0:04:06)

2km 0:08:44 0:08:20 0:03:57
3km 0:12:42 0:12:18 0:03:58
4km 0:16:45 0:16:21 0:04:03
5km 0:20:54 0:20:30 0:04:09
6km 0:24:58 0:24:34 0:04:04 0:20:35
(0:04:07)
7km 0:29:04 0:28:40 0:04:06
8km 0:33:11 0:32:47 0:04:07
9km 0:37:20 0:36:56 0:04:09
10km 0:41:29 0:41:05 0:04:09
11km 0:45:40 0:45:16 0:04:11 0:20:50
(0:04:10)
 

0:41:28
(0:04:09)

12km 0:49:54 0:49:30 0:04:14
13km 0:54:02 0:53:38 0:04:08
14km 0:58:10 0:57:46 0:04:08
15km 1:02:19 1:01:55 0:04:09
16km 1:06:28 1:06:04 0:04:09 0:20:38
(0:04:08)
17km 1:10:37 1:10:13 0:04:09
18km 1:14:44 1:14:20 0:04:07
19km 1:18:51 1:18:27 0:04:07
20km 1:22:57 1:22:33 0:04:06
21km 1:27:04 1:26:40 0:04:07 0:20:55
(0:04:11)
 

0:42:35
(0:04:16)

22km 1:31:17 1:30:53 0:04:13
23km 1:35:25 1:35:01 0:04:08
24km 1:39:36 1:39:12 0:04:11
25km 1:43:52 1:43:28 0:04:16
26km 1:48:09 1:47:45 0:04:17 0:21:40
(0:04:20)
27km 1:52:30 1:52:06 0:04:21
28km 1:56:51 1:56:27 0:04:21
29km 2:01:12 2:00:48 0:04:21
30km 2:05:32 2:05:08 0:04:20
31km 2:10:02 2:09:38 0:04:30 0:22:33
(0:04:31)
 

0:44:24
(0:04:26)

32km 2:14:29 2:14:05 0:04:27
33km 2:18:58 2:18:34 0:04:29
34km 2:23:33 2:23:09 0:04:35
35km 2:28:05 2:27:41 0:04:32
36km 2:32:34 2:32:10 0:04:29 0:21:51
(0:04:22)
37km 2:37:01 2:36:37 0:04:27
38km 2:41:20 2:40:56 0:04:19
39km 2:45:29 2:45:05 0:04:09
40km 2:49:56 2:49:32 0:04:27
41km 2:54:19 2:53:55 0:04:23 0:21:29*2
(0:04:18)
 
42km 2:58:35 2:58:11 0:04:16
42.195km 2:59:22 2:58:58 0:04:01*1

5kmごと、10kmごとの欄の( )内の値は、1km換算ペース
*1 残り0.195kmのタイムを1kmペースに換算した値
*2 残り2.195kmのタイムを5kmペースに換算した値
30〜31kmの間で、一瞬立ち止まる

中間点通過 : 1:27:34
前半 - 後半(スタートロス除く)  1:27:10 - 1:31:48 差 3:48
ラスト5km 21:30、ラスト1km 4:13


 

サブスリー達成までの経緯

ついにマラソンでサブスリーを達成できた。達成には、やはりそれ相応の努力を要してきただけに、達成できて本当に嬉しい。自分にとって、陸上での最大目標は800mで2分10秒を切ることであったが、2年半前にその目標を達成した後は、マラソンでのサブスリーが最大の目標となった。

マラソンでのサブスリー(3時間切り)というのは、多くの市民ランナーにとってある意味究極の目標、夢である。ただし、ランナーズか何かで読んだ記憶であるが、このサブスリーで走るランナーというは全ランナーの1割しかいないそうで、実際にはほとんどのランナーにとって夢に終わってしまうことが多い。幸い私は 、夢を夢で終わらせない側に立てることができた。けれど、今回サブスリーを達成できた私が言うのもおかしいが、マラソンを初めて走った今から10年半前の河口湖マラソンの時は、正直言ってサブスリーなどという考えは頭の片隅にもなかった。それもそのほずである。私が学生の頃の専門種目は400mと800m、まあせいぜい守備範囲は1500mまでだったので、とてもじゃないけどマラソンなどというものは別世界のものあって、あくまでもテレビで観戦する距離であった。実際、私の所属していた早大陸上同好会の夏合宿で毎年実施している、黒姫の合宿所から野尻湖を一周して戻ってくるコースの26km走というのがあり、私も参加した(なぜか400、800mランナーなのに走らされた)のであるが、26kmという距離に恐れおののき、始めから走り通すことを放棄して、40分走って40分歩くことを繰り返して、2年連続ブービーだった記憶がある。大学を出てトラック競技に出る機会がなくなった(その気になれば出られるはずだったが、そういう努力をしなかった)からロードレースに軸足を移した訳であり、大学時代そういう状況だったから、まずは完走できることが最大の目標であった。結局初マラソンは3時間45分台であり、その後もずっとロードレースに出続けるものの、記録はマラソンで3時間30分程度、ハーフマラソンで1時間30数分程度であった。

まあ、このまま適度な練習をなんとなく続けていて健康マラソンに毛が生えた程度でも良かったのであるが、1997年にやはり「このままではいかん」と思い立ち、10kmでの40分切りとハーフマラソンでの1時間半切りを目標に掲げ、1.6km×3のロングインターバルなど今までよりハイレベルの練習を導入したら、意外なほどあっさりとこの目標は達成でき、しかもこの練習を継続していたら半年のうちにハーフが1時間24分にまで伸びてしまった。マラソンでのサブスリーを現実的に意識しだしたのは、この頃からである。ただし、この時から大学時代の忘れ物の800mでの10年近く前の自己記録更新、更には2分10秒突破を果たしたいという強い思いが私を800m再挑戦に駆り立て、マラソンでのサブスリー挑戦はしばらくお預けになった。それでも800mの冬季練習として出た1999年の東京ハーフでは、1時間22分07秒 (ネットタイム1時間21分56秒)という自分でも予期しない好タイムを出せ、この記録で自分もマラソン練習に本気で取り組めば、間違いなくマラソンで3時間を切れるという確信に至った。

無事800mでの目標を達成し今度はマラソンでのサブスリー挑戦となったが、ハーフで1時間22分を出したときは、春から秋までずっと800m用のスピード練習、そして冬になって長い距離を走り練習を始めたものの、冬季シーズンは秋までの800m練習で心身ともに疲弊した状態からリフレッシュするために、それほど走り込んだ訳でもなければ、質の高い練習をした訳でもなかった。それなのにこんなハイレベルの記録が出てしまったため、マラソンでサブスリーを達成するのもそれほど難しいことではないと思ってしまった。しかし、現実には当初考えていたより、はるかに努力を要してしまったのであるが・・・。

今まで書いてきたことと矛盾してしまうが、私がマラソンレースを走るに際し、目標をはっきりとサブスリーに定めて出場したのは、実は800mでまだ2分10秒を切っていなかった、2000年2月の彩の国さいたまマラソン(2001年を最後に中止になってしまった)である。このときは、通勤ランニングでひたすら走行距離をかせぎ、1月の月間走行距離は400km以上にも達した。今までの自分の月間走行距離が多くても200km台であったことを考えれば、画期的なことである。前年の東京ハーフのときは、ジョッグとロングインターバルだけの月間200km足らずで1時間22分で走れてしまったものだから、ジョッグとロングインターバルだけとはいえ、今度は400kmも走ったのだから、これでサブスリーで行けると考えたのである。もちろん、実業団選手やトップ市民ランナーが、マラソン練習として30kmや40kmのペース走を行い、実際これがマラソンに一番効果があるということもいろんな情報を見聞きして知ってはいたが、このときはマラソンで3時間を切るのにそこまでの努カは必要ないと考えていたし、やはりこのときの一番の目標は800mで2分10秒を切ることであったから、余りここで真剣にやり過ぎて心身ともに疲弊してしまって、肝心のトラックシーズンに入ってから800mのトレー二ングに打ち込むエネルギーが残っていなかったということが怖かったので、あえてそういうトレー二ングは行わなかった。結果的に私の身体能力では、これだけの練習内容では3時間を切るには明らかに不十分だったようで、目標に大きく及ばない3時間15分09秒(ネットタイム3時間14分55秒)だった。もっとも、元々マラソンはこのときの目標の種目ではなかったので、「まあ、しょうがないか。本格的なマラソン練習は、後に本気でマラソンに取り組むときのための楽しみに取っておこう。」というような感じで、全くガッカリしなかった。

本気でサブスリーに挑もうと思ったのは、やはり800mで2分10秒切りを達成した2000年が終わってからである。もっとも2001年は足の故障(足底筋膜炎)のため1年間ほとんどまともに走れなかったので、最初の目標になったのは2002年のレースとなった。そして2月に行われる勝田マラソンでのサブスリーをターゲットに12月から練習を開始した。しかしここで、またしても過ちを犯してしまった。走行距離神話から脱しきれてなかったのである。このときは12月、1月と連続して月間400kmをこなして、量としては相当なものだったが、1月前半まではほとんどジョッグしか行っていなかった。それでもレースまで1ヶ月を切ってからスピード練習を開始すれば、本番までは十分間に合うと思っていたのだが、考えが甘かった。本番3週間前に出たハーフマラソンで1時間30分を越えてしまい、更にその1週間後に出たハーフでは、コース、天候が悪かったとはいえ、1時間33分もかかってしまって、これで勝田でのサブスリーは絶望となってしまい、(足の爪を剥がしてしまったこともあって)結局滕田マラソンはパスした。しかし3月末の荒川市民マランンにも申し込んでいたので、サブスリーは諦めてはいなかった。今度は勝田までの失敗を教訓に、質の高いラン二ング をすることを心がけ、陸上を始めて以来、初めて30km以上の距離のペース走を導入した。そしてこれは本当に効果てきめんだった。さすがに準備不足は否めず、目標のサブスリーにはちょっと遠かったが、それでも今までの自己最高3時間15分09秒を大きく上回る3時間07分19秒(ネットタイム3時間06分56秒)を出すことができた。今まで口では目標に掲げてはいたものの、現実には中々見えるところまではいってなかったサブスリーを、ここではっきりと視界にとらえることができた。

さて、サブスリーを現実目標にできる位置までたどり着いて、あとは今までの練習で足りなかったところを補えば達成できると思っていたところ、重大な事態に直面することになった。4月に転勤することになったのである。今までは八王子に会社があり、自宅から歩いても40分程度で行けてしまう距離であった。したがって1年中とはいわないが、フルマラソンなどを目標にして走り込みが必要とされる時期には、もっぱら通勤ランで走行距離を稼いだ。ところが新たに勤務地となった芝浦までは自宅から片道2時間であり、これではとても通勤ランなどできない。かといって帰宅してからも(普通に考えると)ほとんど時間がない。そんなこんなで走る意欲がなくなってしまい、8月まではほとんどまともに走らなかった。そのため8月に出た北海道マラソンは、脚が攣って途中から歩いてしまい、35kmの関門に引っかかってマラソン初の途中棄権という惨々たるものだった。それでもマラソンでのサブスリーは諦めたわけではなく、秋のシーズンまでにはしっかり練習して、そこで出そうと考えていた。ただし通勤事情を考えて、平日は昼休みのみの質の高い練習でカバーして、休日に量を稼ぐという効率の良い練習方法で対応しようという考えだった。

転勤後に本絡的に練習と呼べるようなものを開始したのは、9月半ばからだった。ただそれは10月半ばの1000mレースでの3分切りを目指したものであったので、300m×8のようなマラソン練習からは離れたものであった。これは平日は昼休みのみの練習だった。結果は目標に遠く及ばない3分8秒もかかってしまい(ちなみに800mで2分9秒の走カがあれば、1000mは2分50秒前後で走れるはずです)、考えの甘さを痛感させられた。そして中距離でさえ練習量の足りなさが影響してしまったのだから、マラソンで「効率の良い練習」なんてとんでもないと思い、平日昼休みのみの練習という考えを改め、よほど遅く帰らない限り帰宅後も原則として走ることにした。ターゲットは11月末のつくばマラソンとし、練習メ二ューは基本的に、同年3月の荒川市民マラソンの直前1ヶ月のものをほぼ踏襲したものとした。ただ、準備不足が響いたのか練習タイムがそのときより常に悪く、結果は練習内容を正直に反映し、3時間14分13秒(ネットタイム3時間13分57秒)に終わってしまった。ちなみにこのとき、食事管理により身体を絞込み、荒川のときよりも1kg軽い63kgまで落としたが、タイムは荒川に遠く及ばなかった。福岡大の田中宏暁教授がウェイ トコントロールの重要性を説いていて、体重1kg減らせば何分縮まるなどと主張しており、ともすれば体重を減少させさえすればタイムも縮まるような錯覚さえ起こさせるが、これだけでタイムを短縮する手段にはなり得ず、あくまでも練習をしっかり積むことが前提であり、体重コントロールは練習の効果を最大限引き出すための補助的手段にすぎない(しかしこれが重要でない訳ではない)ことが今回わかった。


 

サブスリーへの計画

さて、ここまでサブスリーに挑戦してきたが、いまだ届いていない。ただ、これまでの取り組みの中で、ハッキリと練習内容の問題点を認識できたので、これからはこれを改善すれば良い。

2000年2月 さいたまマラソン
内容
月間400km量はこなしたもののほとんどジョッグだけ(あと、ほんの少しのロングインターバル)。練習期間2ヶ月
→ 3時間まで15分足らない。前後半差 −8分
結論
・ジョッグのように遅い速度のラン二ングだけではサブスリーペースを持続させる能力を養うのは無理。

 

2002年3月 荒川市民マラソン
内容
途中まで2000年さいたまマラソンと同じ練習内容だった(練習期間2ヶ月)もののスピード不足に気づき、(2月は故障で一時練習中断)レース1ヶ月前から30km以上の距離のペース走を繰り返えす。また、(10kmなどのタイムを上げるための)スピード練習も増やす。直前1ヶ月の走行距離は250km
→ 3時間まであと7分・・・2000年さいたまマラソンから8分進歩。中間点の通過は2ヶ月前のハーフマラソンのタイムと同じ。前後半差 −5分46秒・・・記録を狙ったレースで今までで最小。
結論
2000年さいたまマラソンとの差異 --- 30km以上の距離のペース走の導入、スピード練習の増加

・30km以上の距離のペース走の導入の効果が顕著であることを確認、特にマラソンレース後半の落ち込み防止に効果があったように思う。
・スピード練習の増加については、2ヶ月前に比べてスピードの余裕を持てたことにより、効果はあったと感じる。ただし、サブスリーペースのスピードに対して余裕を持つには、スピードは不足していた。

 

2002年11月 つくばマラソン
内容
レース直前1ヶ月は、2002年荒川市民マラソンとほぼ同じ。それまでの1ヶ月は、中距離練習。その前は、練習ほとんどせず。また、食事管理により身体は絞込み、見かけ上はベストの状態にシェイプアップされた。
→2002年荒川市民マラソンから7分後退。前後半差 −6分半。
結論
2002年荒川市民マラソンとの差異 --- レース前1ヶ月までの練習の蓄積が全くなし。

・いくら良い練習内容でも、直前1ヶ月だけでは無理であることを確認。ただし、1ヶ月間の練習で量も少ないにもかかわらず、2000年さいたまマラソンより後半落ち込まず、タイムも同等であることより、改めて30km以上の距離のペース走を含めた質の高い練習内容の効果を実感。
・体重コントロール(減量)自体にタイムを伸ばす効果はなく、あくまでも補助的手段であることを認識した。


以上は自分の経験から得られた知見であるが、これだけで練習メニューを決定するには情報不足である。練習メニューを決定するものとして科学的研究により得られた情報から得た知識の裏づけがあればなお良い。5kmや10kmなどの長距離のタイムはVOMAX(最大酸素摂取量)と高い相関性があるのに対して、マラソンのタイムはLTあるいはAT(LTは乳酸性作業閾値、ATは無酸素性作業閾値という。厳密には定義が多少違うようだが、ここでは同義として扱う)と高い相関性が見られるという。---※ LTを向上させるにはLT強度での運動が有効であるといい、LT強度での運動というのは苦しくなるかならないくらいかぐらいの強度である。長距離におけるペース走というのはそれぐらいの強度であるから、マラソンの走カを上げるのにペース走が有効だったということは、科学的にも理にかなっていることである。ただし 上にも書いたように、私はサブスリーペースで走るためにはスピードが不足していた。従って、スピードを高める必要もある。ここでいうスピードとはマラソンにおけるスピードであるから、800mのようなスプリント的要素が関係したスピードではなく5km、10kmのスピードであり、そのためにはVOMAXを高める必要があるから、ロングインターバルや5km程度の距離の全力走など、心肺機能をフル回転させる練習も必要となる。

※「これでなっとく使えるスポーツサイエンス(征矢英昭・本山貢・石井好二郎 著)」および「乳酸を活かしたスポーツトレーニング(八田秀雄 著)」など参照

2002年の荒川市民マラソンは、12月から続けているにもかかわらずサブスリーには届かなかったが、ペース走とスピード練習を混ぜた練習が直前1ヶ月だけで、そのための能力養成までの期間が足りなかったためと考えられる。従ってこの内容の練習を十分な期間取る必要がある。その期間は一流選手の練習期間の話などから3ヶ月あれば十分と判断した。

これらのことを踏まえて、次に確実サブスリーを狙える力を付けるための方法として、以下の方針を立てた。
 

基本方針
練習内容はLT強度のペース走を基本とし、スピード練習も毎週のメ二ューの中に欠かさず組み込む。30km前後の距離のペース走も頻繁に実施する。走行量に固執はしないが、月間350kmは確保する。また、この内容を3ヶ月は継続してから、目標とするレースに臨むこととする。時間のなさをカバーしようと、走練習以外の手段に頼るという安易な方法は取らない。


基本方針では、レースまで3ヶ月準備して臨むと書いたが、上記方針に沿った内容の練習をつくばマラソンまでに既に1ヶ月こなしているので、実際には今から2ヶ月後の大会を目指せばよい。その条件に当てはまる関東エリアで開かれるフルマラソンは、2月11日の勝田マラソンだったので、勝田マラソンでのサブスリーを目指して基本方針に従った練習を行うことにした。

さてターゲットも決まり、あとは基本方針に従った練習を実行に移す段階であるが、基本方針を実行するためには、これを私の実生活に合わせた練習内容にブレークダウンする必要がある。その際、私が会社員であり、更に今現在の通勤事情が片道2時間かかるということも考慮しなければならない・・・と言いたいところだが、そのような言い訳をして練習量を減らすことは通用しないことは分かったので、やはり何があろうと毎日走らなければならない。量をこなさなければならないマラソンである以上、結局家が近かろが遠かろうが関係ないか?ただ八王子にいたときは、通勤ランニングを行えたので通勤時間をまるまる練習に当てられたのが、今は通勤ランニングを行えないので、一日の中に占める4時間の通勤時間以外に更にランニングの時間を別に設けなければならず、一日の生活は仕事、通勤、ランニング、睡眠以外ほとんどなくなってしまい、精神的には八王子の頃と比較にならないほどきつい。しかし、サブスリーをどうしても達成したいのだから、これは我慢するほかしょうがない。

上で、現在の生活環境に関わらず練習をごまかせないと書いたが、それは生活環境を理由に行うべき練習を省略してはならないということであって、練習形式を生活環境に合わせてアレンジするなという訳ではないし、現実問題そうしないとやっていけない。私は会社勤めであるから、会社に行っている間にやれることと自宅に帰ってからやれることの2つに分ける必要がある。職種(外回りの営業職など)によっては昼休みに走ることができない場合もあるだろうが、幸い今の仕事も八王子のときと同じように昼休みをランニングに当てることができるので、この時間を有効利用しない手はない。昼休みが使えるのと使えないのとでは、毎日の積み重ねが大事な種目であるだけに、この差は本当に大きい。

昼休みのうち、着替えおよび職場から更衣室への移動、シャワーの時間を除くと40分余りとなる。ここで通常の形で食事を取ってしまうと、更に10分は費やしてしまう。私としては、昼休みの時間を練習のためにギリギリまで有効に使いたかったので、昼食としておにぎり2個を着替えながら、あるいは更衣室から職場へ戻るときに歩きながら食ベることで、食事の時間をまるまる省くことができた(ただし、おにぎりだけでは栄養不足なので、プロテインの補給は欠かさず行っていた)。これでラン二ングに使える時間は40分となったわけだが、このうちストレッチや(ごく短い)アップの時間を除くと、実質使える時間は30分もなくなってしまう。これは与えられた時間としては非常に少ない。これを有効に使うためには、必然的に短時間で行えるスピード練習しか選択肢はなくなる。したがって、昼休みはスピード練習を行う専用の時間とした。

スピード練習を昼休みに行うと決めたので、残りの勤務時間以外のランニングのメ二ューを決めなければならない。基本方針でも書いたとおり、今回のサブスリーへ向けての練習の基本はLT強度のペース走としたので、これも必然的にこのメ二ューしか残されていない。ここでは昼休みのような決められた制限時間がないので、長時間の練習が可能になり、マラソンに必要な量をこなす練習はここで行うことになるが、今まではこれをジョッグにより行っていた。これを今回からLT強度のペース走に置き換える訳である。勤務時間以外のランニングというと、一般的には自宅周辺、あるいは通勤ランニングが可能な人は通勤ランニングになろうが、現在の私には通勤ランニングはできないので自宅周辺のランニングとなる。自宅周辺のランニングでは、出勤前に行う早朝派と帰宅後に行う夜派があると思うが、私は昔からもっぱら夜派である(朝は単に起きられないという理由だけですが・・・情けない)。したがって、これも迷いなく帰宅後に行うことにした。通勤に片道2時間かかるため、ちょっと長く残業すればすぐに帰宅時間は10時を過ぎてしまうが、サブスリーを目指すと決めた以上、もうそんな泣き事は言っていられない。夜11時から走ることが可能な時間に帰れる限り、原則として必ず走ることにした。ただ、いくら昼休みより多く時間が取れるといっても、平日の私の通勤事情ではやはり限度があり、長くて1時間程度である。

今まで平日の時間の使い方について考えてきたが、平日にまとめて走れる時間はせいぜい1時間程度であるので、短くても2時間近くはかかる30km前後のペース走は実施できない。したがってこのメ二ューは休日に行うことになる。

以上で決めた週の中での時間の使い方を元に、具体的練習メニューを以下のように立てた。

 

平日
昼休み
・ 6km全力走 ; 約2km周回コース(芝浦汚水処理場)3周
22分半〜23分(推定1km3分45秒〜3分50秒ペース)
・ 960m×4(2分レスト)インターバル ; 芝浦競技場480mコース往復
3分25秒〜3分30秒 (一瞬静止することを考慮して1km3分30秒〜3分35秒ペース)
週の中で6km全力走を2回、960m×4を一回実施するのが基本で、その他はジョッグなどでつなぐ
帰宅後
・LT強度ペース走 ; 30分〜1時間、コース不定、タイム取らず
・ジョッグ ; 30分〜1時間
・上リ坂インターバル ; 約410m相当のやや急な坂

LT強度ペース走とジョッグの比率は7対3ぐらい。上がり坂インターバルは週1回が基本

なお、平日でもなるベく週に一回は暇を見つけ定時後すぐに帰宅し、休日に行う長い距離のLT強度ペース走を実施するように心がけた。

 

休日
レース5週間前まで
・LT強度ペース走 ; 1時間半〜2時間、コース不定、タイム取らず
・ジョッグ ; LT強度ペース走の疲労度に応じて適宜調整
レース前5週間を切ってから
・25〜35kmレースペース走 ; 周回コースを使い、ペースをチェック
@皇居(1周5km)5〜7周
A1周約4.5kmの周回コース5〜7周

・ジョッグ ; LT強度ペース走の疲労度に応じて適宜調整



以上がサブスリーへ向けての具体的メ二ューであるが、各々について説明を。


平日昼休み

これらは、会社(沖電気芝浦)周辺のコースを利用したものであるが、6km全力走については会社の近くにある芝浦汚水処理場を3周するメニューで、体感的にキロ4分ペースと思われるペースで走ると1周8分なので約2kmとしている(実際は、これよりやや短いかもしない)。これをハイペースで入り、フィニッシュする時に目一杯になるまで追い込む。

960mのインターバルについては、会社のすぐ近くの運河に沿って走る480mの直線コースを利用している。このコースは、芝浦の高校で教師をしているかつて800mで日本100傑にも入ったこともある凄い800mランナーで、インターネットで知り合ったKADOTAさんから紹介してもらったコースで、 なんと路面が全天候トラックの素材でできており、なおかつ100mごとに距離表示まである。惜しむらくは、500mまで表示を取れれば往復1000mのコースを取れたのだが、コースが行き止まりになっており、480mまでしかコースを取れないのが残念である。ちなみに芝浦競技場というのはKADOTAさんの命名である。とにかく偶然にもこのコースは、私の会社から道路一本を隔てた建物の裏側にあるという想像もしないほど近くにあり、芝浦に来てスピード練習の場所確保に頭を悩ませていた私にとっては、これ以上は望むものはないというほど最高の環境である。今回の練習はこの480mの直線を往復して、これを2分レストで4本行うもので、力の配分は通常のインターバルと同じように、設定本数を終えたところで目一杯になり、かつ全ての本数のタイムが平均化するようなペース(これがなかなか難しい)である。距離は960mであるので1000m換算では単純計算ではプラス9秒になるが、往復コースなので折り返し時に減速して一瞬静止することを考えるとプラス5秒ぐらいか。

6kmの全力走も、960m×4インターバルもともにVO2MAXの向上を目的としたメニューであるが、今回のターゲットがマラソンであるので、一定スピードを持続させる能力を養うということで6kmの全力走の方を重視して、週の中で6km全力走を2、960m×4インターバルを1という配分で実施している。ともに昼休み30分以内という限られた時間を最大限使い切るために組んだメニューなので、これ以上増やすことは不可能である。


平日帰宅後

帰宅後に自宅周辺でのLT強度のペース走をメインに行うが、コースを固定してしまってタイムを計測していると、毎日のことなので精神的に疲弊してしまうので、コースは全くの不定である。LT強度というのは血中乳酸濃度が急激に上昇するあたりの強度での運動であるが、正確には血中乳酸濃度を測定しなければ判らず、それは私の環境では不可能。心拍数を測定しても 推定はできるそうだが正確ではなく、あまりそういうことにとらわれ過ぎるのは嫌なので、苦しくなるかならないかという、自分の体感に頼って走ることにした。あと毎日のことなので、やはりたまには、そういうペースでは走り続けることが辛いときもあると思うので、そういう時はジョッグをするようにした。

それから、帰宅後のランニングに上がり坂インターバルがあり、「おやっ」と思うかもしれないが、これはある理由があって実施することにした。昨年秋に1000mレースに出るために練習をしたのだが、そのときに200mのタイムなど、スプリント力そのものがかつてに比べて大幅に落ちていて愕然としたことがある。それなら持久力が上がっているかというとそうではなく、その後のマラソン練習のタイムも自分の感覚よりことごとく遅いのである。どうやらこれは「スピード ― 持久力」という相対的な問題ではなく、基礎筋力のようなものが落ちているのではないかと感じた。そういう問題を解決するには、ウェイトトレーニングを行こなえば一番良いのだろうが、あいにく今の通動事情ではとてもそれを行う時間はない。そこで走りながら筋力を鍛える最も良さそうな方法として坂上がり走を選んだ。この練習は、基礎作りの意味合いで行うので、レース前5週間を切ってから行う本番への実践練習に入る前までの練習という位置付けである。


休日

休日に行う長い距離のLT強度ペース走は、期間によって形式を分けることにした。今まで一度も3時間を切れなかった原因は、LT強度ペース走を実施する期間が短かったからと判断し、実施期間を大幅に延ばした訳だが、人間、集中力がそうそう続くものではない。30kmもの距離をある程度のペースを維持し続けながら走ることは、それ自体かなりきついものであり、更にこれを同じコースをグルグル回りながらタイムとにらめっこして、2ヶ月以上もの間続けることは相当きつく、心身ともに疲弊し切ってしまう恐れがある。したがってレース5週間前までは、ペースはLT強度を保つものの、コース、タイムはフリーにして、極力精神的負担を減らすようにした。そしてレース前5週間を切ってからは精神的にも集中し、周回コースでペースを確認しながら実践モードの練習に入るようにした。この実践モードの練習のうち、とくに35km走など本番の距離に近い練習は、過去2回の経験からも30km以降のペースの落ち込み防止に抜群の効果があったとの確信がある。ただしこの練習で3時間が切れるか否かというのは、この練習を開始する時期までにしっかり走力の底上げがなされていなければならず、その意味ではタイムをとらないLT強度ペース走も決しておろそかにしてはいけない練習である。


体重コントロール、サプリメント

基本方針の中で、「走練習以外の手段に頼るという安易な方法は取らない」と書いたが、しかしこれは走練習以外の手段を否定するものではない。効果があるものならば積極的に活用すべきである。体重コントロール(減量)については、それに頼ろうとして練習をおろそかにするのが良くないのであって、レースで最高の結果を求めるなら練習内容だけでなく当然こちらにも手をつけるのが当然であろう。ウルトラマラソンならどうなのかわからないが、マラソン より短い、エネルギー源のかなりを糖質に頼っている距離においては、 溜め込んだ脂肪をエネルギー源として有効に利用することは期待できない。それどころか脂肪を溜め込んでしまえば、単に余分な重りを背負いながら走っていることになってしまう。だから、余分な脂肪はなるべく削ぎ落としてしまった方が良い。マラソン練習をしていれば、月間300〜400kmも走りこんでいるので、運動だけでかなりのカロリーを消費してしまうため、それほど極端に食事のカロリーを制限する必要はない。食事制限をするとやはりストレスが溜まるものである。私のベスト体重は63kg(昔、無理して61kgまで落としたことがあるが、フラフラして階段を上るのも辛く、日常生活に支障をきたしたことがある)なので、レース1ヶ月前までは65kg台を超えない範囲で特にカロリー制限をせず、レース前1ヶ月を切ってからカロリー制限を始め、レース前1週間を切っ たところで63kg台に乗るようにする計画を取った。

走練習以外の手段では、サプリメントの利用もある。最近は激しいトレーニングの直後にアミノバイタルなどのアミノ酸を摂取して筋肉の回復を早くすることが一般的になっているが、私もそれをそれを活用した。ただ、アミノバイタルはちょっと単価が高いので、BACCやグルタミンなどの粉末を利用することにしている。また、筋肉の原料の補給ため、練習後のプロテインの補給も欠かせない(特に私の昼はおにぎり2個だけでおかずがないので重要)。あとサプリメントで重要視したのが、関節の原料を補給するグルコサミンおよびコンドロイチンである。マラソンのように大量の距離を走りこむ練習をすると、私は今までどこかしら関節系の故障をし、長く休養せざるを得なくなったことがよくあった。それを予防するため、関節に効くグルコサミン・コンドロイチンを摂取したためか、関節の故障は一度も起きなかった(疲労骨折のような兆候が出たことがあったが、これは関節とは別)。あとは、長距離ランナーではお馴染みの貧血を予防するため、鉄のサプリメントも摂取した。
 


 

サブスリーに至るまでの練習経過

以上今まで計画を述べてきたが、つくばマラソン終了後の12月から、2月11日の勝田マラソンを目指し、この計画を実行に移した。計画実施後1ヶ月は、特に故障もなく計画に沿って順調にこなせた。休日の練習のところでも述べたとおり、レース5週間前まではタイムを取ったペース走は行わないことにしていたので、実際のところ力が上がっているのかいないのかはわからなかったが、まあ順調に練習を積んでいるのだし、力は上がっているんだろうなと思った。ただ、困ったトラブルがひとつだけ起きた。インターバルなどのスピード練習では起きないのだが、ペース走やジョッグのような遅い速度で走ると、右大腿部前面の内側の筋肉が硬直化する症状がでてしまうことである。この症状はつくばマラソン前の35km走の時も出たのだが、このときは30km手前たありから症状が出たのに対し、その症状が出る時期がどんどん早まり、走って1時間もしないうちから出だしたのである。これが本番で出てしまうとかなりヤバいし、正直これがこのまま治らなかったらどうしようと、かなり不安になった。思い起こせば、この症状は2001年11月のニューヨークマラソンにかなりの練習不足のまま出て20km過ぎに起こったのが初めての経験で、そのまま我慢してなんとか完走したのだが、そのときの後遺症がまさか残っているのか?多分走りのバランスが崩れていたんだと思うが、とにかくこの症状を治そうと、症状が出る部分にキネシオテープ(伸縮性のあるテーピングテープ)を貼ったり、フォーム矯正走(最初ハイペースで入り、その後徐々にスローダウンを繰り返すことを繰り返す)などを試していたが、そのうちいつの間にか収まってくれて、本当に助かった。

12月はペース走ではタイムを取らなかったので、自分の力の付き具合を今一把握できなかったが、勝田マラソン本番のちょうど1ヶ月前の1月11日に皇居7周の35kmを実施したところ、2時間43分18秒というタイムで走れ、3時間07分19秒を出した前年3月の荒川市民マラソンの 3週間前の記録2時間48分20秒より5分も速く走れ、力が狙い通り大幅に上がっていることを確認できた。ちなみに3時間14分13秒で走った前年11月のつくばマラソンの1ヶ月前が2時間56分12秒だったので、この35km走とマラソン本番のタイムというのは、かなり相関がありそうである。この2時間43分18秒というタイム、前年荒川のときのネットタイム3時間06分56秒対2時間48分20秒の比率で計算すると3時間01分21秒となり、スタートのロスを20秒とすると3時間01分40秒ぐらいか。サブスリーへはちょっと微妙なタイムである。しかし、今までに比べて間違いなく、サブスリーへの掛け値なしの射程圏内に入ったのは確かである。

こうして、マラソン本番へ向けて1ヶ月前の段階でかなり自信を持つことができ、「さあこれから」という時期に恐れていた事態が起こってしまった。故障である。1月に入ってから、実は左足の甲に若干の違和感を感じていたのだが、この35km走の後数日してからその甲の痛みがいよいよひどくなってきた。甲の痛みというのは疲労骨折につながっていることが多く、その兆候が出た場合は要注意である。もし疲労骨折を起こしてしまっている場合は、完治までに2ヶ月程度の安静を要するとのことである。この時点で疲労骨折を起こしているのかは不明だが、このまま練習を続けていれば疲労骨折につながる可能性が高い。そうすれば勝田マラソンは走れなくなり、その後2ヶ月間は全く走れなくなる。かといって練習量を極端に落として様子を見たら、疲労骨折は防げるかもしれないが走力が落ちてしまい、勝田マラソンに出たとしてもサブスリーなどとても無理であろう。幸い今年も3月23日の荒川市民マラソンにも申し込んでいたので、勝田マラソンがダメでも荒川でサブスリーを狙える。荒川まではまだ2ヶ月以上も期間があり、仮にここで2週間完全休養しても走力回復には十分な期間が残されている。今まで故障してきた経験からも、中途半端に練習を継続して良い結果が出たことなど一度もない。結局良くならない状態を引きずりながら、ズルズルと2〜3ヶ月長引かせてしまい、その期間を棒に振ってしまう。せっかくサブスリーを狙える状態にまで持ってきて、ここで練習を中断するのは非常に残念であったが、後々のことを考え、敢えてここでは断腸の思いで2週間の完全休養を決断した。

2週間の完全休養により勝田マラソンは断念せざるを得なくなったため、休養後は荒川市民マラソンへ向けての練習再開となった。荒川は昨年経験しているので、昨年と対比させながら練習の進捗具合を常にチェックでき、それを元に本番のシュミレーションもできるので、こちらの方が取り組みやすい。考えようによってはこちらで良かったのかもしれない。再開当初こそはブランクの影響があり思うような練習ができなかったが、再開2週間後に行った皇居6周30km走では2時間20分29秒というタイムで走れた。1周少なかったとはいえ、これは1ヶ月前に行った35Km走のときとほぼ同じペースであり、想像以上の回復ぶりと言える。(あるいは、2週間程度の中断では、それほど力は落ちないのか?)荒川のちょうど1ヶ月前に出場した地元の駅伝では、5.2km区間で正味15人を抜き、昨年が殆ど抜けなかったことを考えれば、スピード面についても確実に上がっていることが確認できた。

こうして、荒川本当1ヶ月を前にして再び自信を取り戻したが、3月に入ってからちょっと不安になってきた。というのも本番3周間前た行った皇居7周35km走で、2時間48分07秒というタイムを出してしまい、これは1年前の荒川で3時間7分を出したときの3週間前の記録とほぼ同じであり、1月に2時間43分18秒というタイムを出しているだけに非常にショックだった。タイムが悪かった原因は、最初の入りが遅すぎ、それをそのままズルズルと中盤まで引きずってしまったのが原因であるが、それにしても遅すぎた。この悪いイメージを払拭しようと、平日の3日後、わざわざ会社の午後を休んでまでして皇居へ出かけ、再び同じメニューを実施した。今度は同じ過ちは繰り返すまいと、最初から突っ込み、どうにか強引に2時間43分53秒というタイムを出した。しかし同じ2時間43分台といっても今回は1月に比べて走りに全く余裕がなかった。ただ、2時間48分の悪いイメージをそのまま引きずるよりは良かったと思う。

3月に入りちょっとイメージが悪くなったま、3月9日には毎年恒例(1997年より7年連続!)の京都シティハーフマラソンを迎えた。ここでは昨年1時間27分09秒(ネットタイム1時間26分59秒)で走り、2週間後の荒川で3時間7分を出しているので、そのことを考えるとサブスリーを出したい今回は1時間23分では走りたいと思ったが、4日前に35kmを走っていることを考慮すると1時間24分台が出れば良しとした。まあ、このコースで出した過去最高が1時間24分44秒(ネットタイム1時間24分36秒)だったので、このコースでの自已記録ぐらいは破ろうと思った。そしてレース本番、1週間前の35kmと同じくまたしても最初出遅れてしまう。今回の京都シティハーフは10回記念大会であり、通常よりも参加人数が多い。そのためスタート後も例年より混雑しており、その流れにはまってしまった。1kmの通過ポイントで時計をチェックすると、なんとこの1kmに5分もかかっていた。その後も今ひとつスピードに乗れず、10kmの通過が42分を超えてしまい、このままでは1時間29分のペースである。さすがにこれではヤバイと、自分としては異例の残り半分以上を残してのスパートモードに切り替えた。この切り替えが功を奏し後半かなりスピードアップでき、1時間25分42秒(ネットタイム1時間25分22秒)という自分が許せる最低限の許容範囲内でどうにかゴールできた。ただしこの記録、昨年の比率で計算するとネットタイムで3時間03分28秒となってしまい、サブスリーを狙うには単純に考えれば厳しい記録である。救いがあるとすれば、このコースはラスト5kmを下っているとはいえ、今回ゴールまでの10kmを38分52秒でカバーできたことである。このタイムには正直言って驚いた。終わってみれば、2週間後のマラソン本番へ向けてあまり収穫が得られなかったレースだったが、最後の10kmを38分台で走ったということと、これはあくまでもハーフであり、距離が長くなれば長くなるほど、今までかつてないほど高い内容でこなしてきた練習で培った持久力が生きてくれるだろうという希望的観測を元に、前向きに考えるようにした。

京都シティハーフが終わってからも練習の調子は良くなかったが、レース前1週間を切ってから行った2kmの周回コースを使った20kmのペース走で、非常に良いリズムでラップも極めて安定して刻め、ようやく良い感触を得られることができた。レースの4日前に行った6kmの全力走では、調整期間に入り練習量を落として体が軽くなっていたこともあるだろうが、今までの自巳記録を一気に30秒も縮め、最後に来てようやく自信が回復してきた。体重の方は、昨年の荒川前はレースを前にして64kg台とやや絞りきれなかったが、今回は63kg台と理想的な状態にまで持って行け、あとはいよいよ本番を待つだけになった。


 

マラソンレースに向けての戦略

さて、今まではずっと練習を中心に本番までの長期にわたる計画を述べてきたが、本番でのレースの進め方、またレース直近の過ごし方も言うまでもなく重要である。まず、レース直近の過ごし方については、私はやはりグリコーゲンローディングを行っている。この効果については諸説いろいろあるようだが効果があることは確かなようだし、私はこれを行って特に体調を崩したこともないので、重要な試合の前には必ず行っている。短い距離の場合は、レース前1日だけ高炭水化物食を取るが、マラソンの場合は特に終盤のスタミナ切れという問題があるため、レース2日前から行っている。このグリコーゲンを溜め込む段階では、レース当日にエネルギー切れを起こさないためにもカロリー制限は行っていないが、それまでは、レース1週間前に入って調整で練習量を減らすので摂取カロリーには気を使い、本番までに体重が増えないように気をつけた。またちょっと逆説的だが、ランニング雑誌などでは普通、レース本番に腸内にガスが発生しないように前日は繊維質を控えるようにアドバイスしているが、私の場合、当日レース前に確実に用を足すためにもあえて繊維質を多く取った。

次に本番でのレースの進め方だが、42.195kmを3時間を切るには1km4分15秒ペースで走ればいいが、我々のレベルでは大抵後半失速している。私も記録狙いで走ったマラソンでは、後半の方が速かったことは一度もない。やはりそのことを考えると、3時間を切るギリギリのペースで最初から走るのはリスクが大きすぎる。それから私は、3時間をギリギリ切るペースで走ってはいけない大きな悩みを抱えている。それは、(情けないことであるが)私は未だかつてマラソンレース中にトイレ(もちろん小の方)に行かなかった経験が一度もないということである。昨年の荒川でトイレで費やした時間は 45秒なので、今回もこれぐらいと考えて、更にスタートラインを通過するまでに20秒かかることも考慮に入れなければならない。それから、荒川特有の川上から川下へかけて風が吹くという気象条件も考慮に入れなければならない。昨年の荒川では、最初本当に良いペースで走れて、そのままサブスリーも行けてしまうのではとも思ってしまったのだが、15kmの折り返しを過ぎるととたんに強い向かい風に見舞われて、1kmのスプリットが一気に5秒も落ちてしまった。何てことはない、それまでは実は追い風に助けられ、自分の力以上に見かけ上速く走れていただけなのである。だから、荒川ではこの最初の追い風にだまされないようにすることも必要である。

以上のことを考慮に入れて、前半のハーフ通過の目標タイムは1時間27分台に設定した。この設定タイムで通過できれば、後半トイレでの50秒のロスも含んで4分落ちても3時間を切れる計算になる。前半を1時間27分台で通過するためには、1kmあたり4分8秒前後のペースで走り続ける必要があり、京都のときの調子を考えるとちょっと厳しい感じもしたが、京都のときと違って本命の今回は、直前練習量を落としてきっちり調整してきたので、本番では脚が軽くなってこのペースでも押して行けるだろうと判断した。ただし、この設定ペースも当日このペースに合わせられる力、調子があってこそ有効なのであって、当日もしそのような状態になければ、この設定は絵に描いた餅に終わってしまう。本番でもし設定ペースで押して行けるほど調子が良くなくて、それでも設定ペースを守ろうとして無理してペースを維持すると、必ず後半に反動が来てペースがガタ落ちするであろう。特にマラソンの場合は一旦そういう状態になると、他の距離とは比較にならないほど落ち込みが激しい。だから本番でもし設定ペースで行くことが無理だと感じたら、さっさとその設定ペースを捨て去ることにしている。

私がマラソンを走る上で気をつけようと考えていることは、30kmまでは頑張って走ってはいけないということである。とにかくマラソンにおける30km過ぎに感じる脚の状態と、ハーフマラソンまでの脚の状態とでは明らかに違っており、脚から全くバネが消えうせ、ただ気力のみで脚を前へ運んでいる状態になっていて必ずペースが落ちてしまう。月間1000km 以上も走る トップの選手では、後半更にペースアップする例 (それにしても、4月のロンドンマラソンでのラドクリフの走りは、驚異的女子マラソン世界最高のペースで来たにもかかわらず、30km過ぎで2回連続5km15分台のスプリットを記録して加速してしまうのだから、本当に度肝を抜かれてしまった)も良く見受けられるが、30km過ぎに脚がこのような状態になってしまう私にはとても無理である。やはり月間400km程度の私レベルのランナーでは、本当の意味での42.195kmを走り切るスタミナは養成されていないのだろう。42.195kmを本当に走り切るスタミナがないのに前半に無理をしてしまって、30km以降に対して余裕を持てない状態で迎えてしまうことは、リスクが大きすぎる。よくマラソンで30kmの壁といって、30km過ぎに極端にペースが落ち込んでしまう人がいるが、私はそのような経験は一度もない(練習不足すぎて脚が攣り、歩かざるを得なくなったことは2回あったが)。極端なペースダウンをしたことがないという意味では、私は30kmの壁は経験したことはないといえるが、それはいつも後のことを考えて勢いに任せて走ることはせず、常にペースを冷静にコントロールしてきたからであろう。そういう意味では、私は意外とマラソンにあった性格をしているのかもしれない。しかしながら今回のレースの目的はあくまでも記録狙いである。記録を狙う以上、後半に対し臆病になりすぎてあまりペースを抑えすぎてしまうのもまずい。したがって頑張らない範囲で最高スピードを出せるペースを見つけて、それを30kmまで持続するようにした。もし頑張らない範囲での最高スピードが設定ペースを上回っていれば、常に余裕を持つことができて理想的であるが、1km4分8秒ペースというのは京都シティハーフなどの結果から考えると、私にとって頑張らない範囲での最高スピードの限界であるような気がする。どうにか頑張らない範囲での最高ペースが設定ペースに届いてくれていればよいのだが・・・。

あとレース計画の中で、トイレによるロスタイムがある前提で計画を立てているが、ちょっと前まではトイレに行かないためにはどうすれば良いかあれこれ考えていたが、どうやっても必ず1回は行ってしまっているので、今ではこれは自分にはつきものことなんだと諦めている。そんな、できるかできないか分からないことに期待するよりかは、目標を達成するためには要するにこのロス分を含めたタイムで目標を上回わるしかないんだと、今は達観してしまっている。ただし、このロスも2回も重ねてしまうと、さすがに記録を狙うにはハンディが大きすぎる。したがってトイレロスを1回だけに抑えるために、レース前は水分摂取を控えめにして、レースが始まったら10kmまでは全く水を摂らず、10km過ぎから給水を開始するという作戦は立てた。ただし、この作戦を実行するにあたって、脱水症状にならないように注意しなければならない。

最後にちょっと邪道かもしれないが、私のマラソンに対する秘策を披露したい(ちょっと大げさ?)。レース中に体脂肪をエネルギーに変えるというCMのうたい文句につられて、ついついバーム(特定メーカーの品名を出して、何か企業の宣伝の一翼を担っているみたいですが・・・)を購入し、長距離レースの前に飲んでいるランナーも多いと思うが、私もその中の一人である。バームが本当に効き目があるかというのは賛否様々だと思うが、これを効かないとしてしまうと、そもそも私の試み自体が全くの滑稽以外何物でもなくなってしまう(本当に滑稽だったりして?)ので、ここではバームが効き目があると考える。シドニー五輪金の高橋尚子選手は、レース中の給水にもバームを使っているというが、このような一流選手はレース中に自分が指定したスペシャルドリンクを取ることができるので、バームのようなものもレース中自由に取ることができる。ところが我々のような平凡なランナーにはそのような環境は用意されておらず、水か大会の主催者が用意したスポーツドリンクを取ることしか選択肢はない。したがってウェストポーチなどを身につけながら走るランナーはともかく、記録を狙うために余計なものを身につけない一般ランナーは、レース中にバームを飲むことは諦めているのではなだろうか?そこで私は秘策を考えついた。粉末を水に溶かすタイプのバームパウダーの小袋一面に、両面テープをびっしりと貼り付け、その接着面をランニングパンツの内側に貼り付けて走るのである。そうすると、走っている最中全く邪魔に感じないし、これがパンツから剥がれ落ちる心配もない。そしてバームを補給するとあらかじめ決めていた地点に来たら、パンツから小袋を剥がし取り、袋を破って粉末を口の中に振り込んだ後、給水所で取った水で喉の奥まで流し込むのである。これは昨秋のつくばマラソンで既に実験しており、全く問題がなかったことを確認済みである。

あと、マラソンのような長丁場のレースだと終盤のエネルギー切れという問題も出てくる。マラソンでは30kmあるいは35kmを過ぎると体内のグリコーゲンが枯渇してくるというが、その枯渇する地点をなるべく引き伸ばすためにグリコーゲンローディングを行うのであるし、またバームによる脂肪燃焼効果によりグリコーゲンの消費を抑えているのである。またレース直前にエネルギーを補給する人もいるだろう。私は胃腸が比較的強い方だから、レース直前でも平気でおにぎりを食べているので、胃腸が弱い人よりは有利かもしれない。しかしレース終盤でエネルギーを補給できたら、これた越したことはない。今までいろいろ試してきて、エネルギーのタブレットなどは口の中でボソボソしてどうもいただけなかったが、ザバスから出ているグリコーゲンリキッドは大きが小さいので、ランニングパンツに付いている内ポケット(フランクショーター製のパンツなら必ず付いている)に折りたたんで入れれば走っている最中邪魔にならず、エネルギーも一本1 50kcalあるのでエネルギー補給としても有効であり、非常に良い。ただ、ちょっと甘すぎるのが欠点であるが・・・。これを30km手前で補給すれば、終盤のスタミナ切れの軽減を期待できる。このバームとグリコーゲンリキッドをレース中に補給することを合わせて、よこうちスペシャルと呼んでいる。走っている最中本当に邪魔にな らないので、関心を持たれた方はぜひお試しあれ。


 

レース本番

いよいよレース当日。昨年は、会場に到着するのがギリギリでアップができなかったが、今年はレースまで50分あまりの余裕をもって会場入りした。前日繊維質を多く取ったので、会場へ到着する前に途中の駅で用を足せる予定だったのに便意が一向に催してこなくて困ったが、会場に入ってやっと催してきた。そしてトイレに並んだのであるが、こういうマラソン大会では常のことで、かなりの時間待たされるのである。結局トイレを済ますまでにかなりの時間を費やしてしまい、スタート時間まであと10分を切ってしまって、昨年に続きまたしてもアップをする時間がなくなってしまった。今年は少しはしようと思っていたのに・・・。まあ、マラソンではアップは特に必要ないというのが個人的持論であり、全く動揺はしなかったが。それよりも、もし便意を催すのがあと20分も遅ければ、それこそスタート時間に間に合わなかった訳で、それを考えれば本当に良いタイミングで便意を催してくれたと思っている。スタート位置へ向かう前に、おにぎり1個をほおばり、バームの粉末を水で喉に流し込んだ後、残りあと5分、急いでスタート位置へ向かった。スタート位置は、多くの大会のように陸連登録の部が一般ランナーに優先して前に並べるので、陸連登録をしている自分はそんなに不利はない。それでも時間ギリギリで並んでしまったから、陸連登録の部では一番うしろである。

そしてスタートまでのカウントダウンが始まりいよいよスタート、自分の時計を押す。結局スタートラインを通過するまでの時間は24秒で、まあ自分が予想していた20秒とほぼ同じ。予定範囲内のスタートである。スタートした後に気をつけたことは、ペースを落としすぎないことだった。3月はじめに行った35km走では、最初余裕を持ちすぎて、1周目に26分近くもかかっていたし、2週間前の京都シティハーフでも混雑があったとはいえ、最初の1kmで5分もかかってしまって、結局このロスを取り返すことができなかった。いくらマラソンが長丁場とはいえ、ギリギリサブスリーを狙う立場としては、最初の1kmに5分も費やしてしまっては、その後の挽回がかなり苦しい。幸いこの大会は1kmごとに表示があり、最初のペースが多少不安定でも、1kmごとのペースをチェックしながらペースを調節できる。今回は、多少突込み気味で入ることにした。1kmのスプリットは結局4分23秒、まずまずのペースである。そして1kmぐらい走った後、妙なランナーに遭遇した。背中に「3時間」という文字を貼り付けながら走っており、本人が「私が3時間アドバイザーです。3時間を切りたい人は私についてくれば切れます。」と声を発していた。大会公式なのかどうなのかはわからないが、どうやら3時間のペースメーカーのようである。ただ、私の頭の中では、ペースメーカーというと最初から終わりまでイーブンペースで行くイメージがあり、私が後半の落ち込み分も考慮して立てた中間点を1時間27分台で通過するプランとは食い違っていると考え、無視して先に行くことにした。 それから、困ったランナーもいた。大抵のランナーは、走るフォームやリズムに極端な違いはない。ところが一人、ゆったりとした動きのランナーがいて、これが目障りなのである。例えば、ゆったりとした動きとはいっても、日本最高記録保持者の高岡選手なら、もし近くにいてもそれ程目障りには感じないと思う。それは、前へ前へと動いているから。ところがこのランナー、ランニング暦の浅い素人なのか、力が上へ上へと逃げているような走りで、これの動きが視界に入ってしまうと、どうも自分の走りも崩れてしまいそうで、嫌である。ところが、ペースが一致しているからどうしてもその走りが視界に入ってきてしまう。なるべくこのランナーを見ないように心がけた。

スタート後の混雑もかなり緩和してきてスムーズに走れるようになったが、2kmまでの1kmを特に飛ばしたわけでもなく、それで時計を見ると何とこの1kmは3分57秒で4分を切っていて驚いた。昨年の同区間を同じ感覚で走って4分10秒だったのを覚えているので、自分でもかなり調子が良いのかなと思った。そして次の1kmも再び3分58秒とまたしても3分台、その次も4分3秒と、自分が目標にしていた4分7〜8秒を無理していないのに大きく上回り、 これは当初自分が予定していたより、はるかに良い結果が出るかもと思った。5kmの通過は20分54秒で、スタート後の混雑を考えれば21分を超えても良いと考えていただけに、想定以上である。5kmを過ぎてからは、さすがに4分そこそこというスプリットはなくなってきたが、それでも余裕を持ちながら常に4分10秒を切っており、今日の調子の良さが本物であると実感できた。心配していた暑さについては、これまでこの冬場に練習してきた気候よりは明らかに高いが、しかし嫌というほどではない。予定通りトイレのことを考慮して給水は10kmを過ぎるまでは取らないことにした。それからここまで走ってくると、周囲とはだいたいペースが合ってくる。そういう中で、自分としてはなるべく楽に力を使わないで走りたかったので、身近にいる自分とペースが合っていて、かつペースが安定していそうな人を見つけて、ペースメーカーとして利用させてもらった。

10kmの通過は41分29秒で、これもプラン通りの41分台。走る前にプランを立てたときは、この前の京都シティハーフのこともあったし実際にそのプラン通りに走るのは難しいのではと感じていたが、それを余裕を持ってクリアしているので、中間点までは間違いなく予定通りの1時間27分台を余裕を持って行けると確信した。 しかもレース前のプランは、レース前半は追い風で後半が向かい風になることを前提として(実際昨年はそうだった)、前半に貯金を作るための作戦であったのに、今回は前半追い風に助けられてないのにこのタイム、想定以上の出来である。10kmまでは、前に書いたとおりトイレ対策で給水を取らなかったが、10kmを過ぎたので初めて給水を取った。ここでテレビで女子マラソンで野口みずき選手がやっていたのを真似して、給水のコップを潰して飲んでみたのだが、これが実に飲みやすかった。今までは走りながらだとコップの水がどんどんこぼれてしまって困っていたのが、この飲み方だと走りながらでも全く問題ない。良い方法を教わったものだ。それから、そろそろ よこうちスペシャルの第1弾 --- バームをレース中に補給すること --- を実行しようと思い、次の給水所で行おうと決めた。次の給水所は12km手前にあったが、ここで両面テープでランニングパンツの内側に貼り付けていたバームの粉末が入っている袋を取り出し、袋を破って口の中に粉を振り込み、それを給水所の給水で喉の奥へ流し込んだ。この間、やはりちょっと立ち止まり気味の動作になったのでペースは若干落ち、この1kmのスプリットは4分14秒と落ちた。しかしその後はまた4分10秒を切るペースに戻したので、そう大したロスではない。

15kmの通過は62分19秒で、これもまたプラン通りの62分台。昨年はここで折り返していたが、今年は更に下流までどんどん下っていき、ハーフポイントで折り返すだけのコースである。この辺りから道幅が狭くなる状況が少し続くのだが、その影響もありちょっと人が混雑してきたのかなと思ったが、何かそれにしてはちょっと多すぎる集団に後ろから飲み込まれた。3時間半から4時間あたりのペースならわかるが、自分が今走っているのは3時間を切るペースであり、おそらく今回のこのマラソンの参加者のうちの上位数パーセント程度の位置であるから、普通はランナーの数はまばらなはずである。ところが、全くそんな位置にいるとは思えないほどの人混みなのである。しかし、すぐにその理由が判った。例の3時間アドバイザーさんが1kmごとのスプリットを読み上げながら走っていて、3時間を切りたいと思っているランナー達が、多数このアドバイザーさんに付いて走っていたために、大集団になっていたのである。スタート直後はこの3時間アドバイザーはイーブンペースで3時間のペースを作るのだと思ってあえて付かなかったが、これはハーフ1時間27分ペースでまさに私が希望していたペースと合致するペース。ここからは、この人のペースを利用させてもらうことにした。

20km手前、ここに来る1、2km前あたりから、3時間アドバイザーのペースに付いて走るのが若干きつくなりだしてきたので、このアドバイザーからやや遅れ気味になってきた。それでも3時間アドバイザーの声は聞こえる位置にいて、20kmを過ぎてからアドバイザーが「ここから25kmまでは・・・」と言っているのが聞こえた。ただし「・・・」の部分がペースを落とすのか、維持するのか、そこまでは聞き取れなかった。そして中間点の通過は1時間27分34秒と、予定通り1時間27分台で通過することができた。この後は、後半1時間32分でいい訳だから4分20秒ペースまで落としていいことになる。ここでペースを落とそうかどうか迷っていたが、周囲の流れに乗っていると意識しないと中々ペースを落とすのは難しい。結局25kmまでも4分10秒前後のペースが続いて、今までの延長線みたいな感じになってしまった。ちなみに、この5kmで3時間アドバイザーからは完全に置き去りにされて、その後も一度も遭遇することはなかった。3時間と言いつつ、あの人はいったいどれぐらいのタイムでフィニッシュしたのだろうか?それから中間点を過ぎた辺りから、レース前に心配していたことが現実のものとなった。まめである。このレースで履いたアシックスのターサージャパンというシューズは、秋のつくばマラソンでも履いたシューズであるが、この時も右足にまめができ、今回もまた右足の 親指と中指の付け根の間にまめができた。少々痛く気にはなるが、できてしまったものはしょうがない。なるべく気にしないことにした。 それからここまでで、私がマラソンに出場して以来のある快挙がなされる雰囲気になってきた。それは何かというと、レース中にトイレへ寄らないこと(あるいは立ちしょんをしないこと)である。とにかく10年前に初マラソンを走ってからそれまで12レース、唯の一度もトイレに寄らなかったことはなかったのである。昨年3時間7分台を出したときも25km過ぎで1度行っていて 45秒のロスをしているし、この前のつくばマラソンでもやはり25kmから30kmの間にトイレへ行っているし、この段階まで全く尿意がなく、感じからいってこの後もなさそうなことは嬉しい誤算であった。

25kmの通過は1時間43分52秒。ハーフまでは5kmごとの通過予定タイムが全て頭にインプットされていたが、25kmまではちょっとインプットされていなかった。ただ、計算するとこの後の5kmを22分かかっても30kmの通過は2時間5分台である。サブスリーを出すためには30kmは2時間5分台では通過したいと考えていただけに、これはまずクリアできそうである。25kmを過ぎてからは、20kmから25kmまでは周囲ペースに流されて実行できなかったペースダウンをあえて実行した。感覚ではかなり落としたつもりだが、それでも4分20秒までは落ちていない。流れに乗っていると、ペースを落とすのも結構一苦労である。ところが、この後あまり経たないうちに、更にペースを落とさなければならない状況が生じてきた。 両脚のふくらはぎが攣る兆候が出てきたのである。このまま今までのような強さで蹴ると完全にふくらはぎが攣りそうなので、蹴り具合をちょっと加減するようにし、そうするとやはりペースは落ち、4分21秒まで落ちてしまった。しかもこの状況では、これ以上ペースを上げるのは難しい。今までサブスリー楽勝ムードだったのが、一転してかなり不安になってきた。28kmあたりでは、よこうちスペシャルの第2弾、ランニングパンツのポケットに入れていたグリコーゲンリキッドを補給した。しかし、このグリコーゲンリキッドを取り出す動作というのはいつものランニングの動作とは違うので、脚の筋肉のいつもと違うところに力が入ってしまい、ふくらはぎに一瞬ピリッときたので、ちょっとヒヤッとした。それからアミノバイタルも摂ろうとしたが、胃の中にかなり水分が溜まっていて、またこれ以上胃に余分なものを入れる気がしなかったので、これはやめることにした。

30km手前、サブスリーペースだというのに、この辺になると歩き出すランナー、あるいは極端にペースが落ち込んでしまうランナーを目にするようになる。このあたりの感じは、3時間15分ペースで走るときと大差なく、意外だった。スタート後に目にした動きがゆったりとした目障りなランナーとも再び遭遇し、このランナーはかなりペースが落ち込んでいたので、あっさりと抜き去った。そして30kmの通過は2時間05分32秒で、これも予定通り。ふくらはぎに違和感を感じつつも、ここではまだ計画通りに進んでいるということで、このまま頑張っていればどうにかサブスリーは行けるのではないかと思っていたが、この直後目の前が真っ暗になるような事態が襲ってきた。ついにふくらはぎが攣ってしまい、一瞬立ち止まってしまったのである。まともに走り通してやっとサブスリーだと思っていたのに、立ち止まるなどという行為が入ってしまっては問題外だ。もうこれでサブスリーは夢に終わってしまったかと一瞬思った。幸いすぐにまた走り始められたのでロスは一瞬であったが、それからはいつまた攣って立ち止まってしまってもおかしくないような状態だった。いっそのこと、一回立ち止まり、ふくらはぎを十分伸ばしてから走り始めることも考えたが、それで回復する保証などどこにもなく、ロスが大き過ぎると考えてそれはやめた。それにしても、今までは、一昨年のニューヨークマラソンや昨年の北海道マラソンのように、かなりの練習不足で出場し、その結果大腿前面が攣って歩かざるを得なくなった経験はあるが、ふくらはぎは経験がない。今回は今まででも一番練習を積んできたという自負があるし、まさか脚が攣るなどという事態に遭遇するとは想像もしなかった。本当にこれだけの努力をしてきて、これだけ調子が良かったのに、こんなときに限ってこんな試練を与えてくれるとは、神樣もつくづく慈悲がないなと思った。とにかく、今のこの脚の状態では、今までと同じ走り方をしていたら、またふくらはぎを攣ってしまうのは確実だった。しょうがないから地面を蹴るときに足先部分に体重をかけるのをやめ、踵に重心を残しながら身体を前へ運ぶという走法に変えた。この走法に変えてからはさすがにふくらはぎへの負担はかなり減った(副次効果として 親指付け根にできたまめへの負担軽減効果もあった;実はこの時点では左足にもまめができていた)が、どう考えても不自然なフォームである。自分のイメージの中にある「走っている」という感覚とは程遠いもので、それまでのスピード感は全く失せてしまった。31km通過までのスプリットは当然落ちていて4分30秒だった。ただ、脚がこんな状態の割には、以外に落ち込みが少ないともいえるかもしれない。

脚が攣ってしまい走法を変えてからは、ペースはキロ4分30秒程度で進んだ。この頃になると、疲労も蓄積してきて更に不自由な走り方により、1kmごとの表示間の通過にかかる時間が前半とは比べ物にならないぐらい長く感じるようになってきた。前半の感覚でいけば、35kmになっているはずなのに表示を見るとまだ33km、ゴールは本当に果てしない彼方にあるように思えてきた。ちなみに2週間前に走った京都シティハーフでは前半が遅すぎたこともあるが、10km過ぎからあと11km、半分以上を残してスパートモードに入って常に攻めの姿勢で走り続け、実際最後までこの走りを続ける自信もあったが、今回はあと10kmを切っていて既に残り1/4を切っているというのに、とてもそんなことをできるような状態、心境ではなかった。走っていながら、「このままゴールでは3時間2、3分あたりでフィニッシュということになるんだろうか・・・」という、諦めにも似た感情が湧いてきた。とにかくゴールまでは辿り着かなければならない訳だから、この辺りからしばらくはタイムのことは考えずに、とにかく「走り続けること」そのことのみに、意識を集中した。昨年も荒川を走ったのでこの辺りの風景はしっかりと記憶にあるが、昨年は15kmで折り返していたのが今年は21km、すなわち今年の35km通過地点が昨年は23kmとなる。昨年は中間点を過ぎてからサブスリーを諦めたので、その後は例年より異様に早い桜の満開の景色を楽しみなが気楽に走ったこともあるが、この辺りは本当にリラックスして走ることができた。ところが今年は全く違って、「去年はこの地点、こんなに辛かったっけ?」と思いながら走っていた。

35km手前には、荒川名物のシャーベットが食べられるエイドステーションがあるが、もう半分諦めかてけいる状態とはいえ、まだサブスリーへの望みを捨て切っていない身としては当然パス。(来年もし出たら、今度はぜひ食べよう!)35kmの通過は2時間28分05秒。ここの予定通過タイムは頭に正確には入っていないので、このタイムでサブスリー圏内なのかは良くわからない。しかし今のこの状態では、計算して予測する気にもならない。ちょっと余裕を残しているときは、この35kmの表示を見てから元気が湧き、ここからペースが上がるのだが、今回はとてもそんな元気はなく、その後も現状維持のまま走り続けた。それにしても35km過ぎに川縁の土手上を走っているサイクリングコースから10mほど下って河川敷の道に降りて、またすぐに土手上まで10m上がる地点があるが、これがここまで来ると本当にこたえた。昨年も同じように10m下ってまた上った記憶は確かにあるが、そんなにきついという記憶は全くなく、全体に平坦で良いコースの印象しかなかったが、それは35km地点にあることと23km地点にあることによる身体の疲労度から感じる差だろう。やはり35km過ぎてのこのコース取りは「ちょっと勘弁してくれ」という心境になる。

こんな状態で35kmを過ぎても現状維持が精一杯の走りを続けて37kmを2時間37分01秒で通過。37kmといえばゴールまで約5kmだが、それでもまだ元気がでなかった。ところが不思議なもので、ここからたった200m進んだゴールまであと5km地点に来て2時間37分52秒というタイムを見ると、「あと22分で走ればぎりぎり3時間切れるのか。今の状態だとちょっと無理っぽいけど、可能性もある・・・かな?」と若干前向きな気持ちが出てきた。走りながらだと中々複雑な計算はできないが、「残り1km減るごとに、3時間までキロ4分ペース+1分以内をクリアする」という目標なら、頭の中でも即座に計算でき、しかもこれならゴールに近づくほどサブスリーの確率が高くなるから、これを目安に走ることにした。そして残り4km地点を通過。タイムは2時間42分09秒で、3時間まで余裕で17分(=4×4分+1分)をクリアしており、これで今度はサブスリーで行けそうだという気になってきて、元気が出てきた。その元気のせいか、38kmから39kmまでの1kmはなんと4分9秒でカバーしている。ラスト3km地点は2時間46分21秒で、3時間まで13分(=3×4分+1分)を40秒近くクリアしており、ここでサブスリーはほぼ達成できそうだという思いが強くなってきた。ただし、先の1km4分9秒というスプリットは今のこの脚の状態では速すぎたのか、また脚にピリッときた。本来なら、ラスト3kmというとこれからスパートしどきの距離なのに、このままこのスピードを維持するとそのうち絶対に脚を攣りそうだったので、またスピードを抑えざるを得なかった。ラスト2km地点は2時間50分47秒で、ここでも3時間まで9分(=2×4分+1分)をクリアしていて、あと2kmをキロ4分30秒ペースで走れば良い訳だから、ここでほぼ100%サブスリーを確信した。しかし、いくらこのまま行けばサブスリーはほぼ間違いないとは分かっていてもまだレースは終わった訳ではなく、現状のこのキツイ状態から抜け出して、早く本当にサブスリーを現実のものにしたいという思いで必死だった。沿道からは何十メートルか先を走っているランナーへ「あとキロ5分ペースで行けば大丈夫なんだから、3時間は絶対切れるぞ」というような言葉がかかっていて、そういう言葉は自分に対しても勇気になった。

ゴールまでラスト1km地点の通過は2時間55分09秒。ここではさすがに3時間まで5分はクリアしてはいないが、しかしあと4分50秒も余裕があるのだから、今のこのペースを維持しさえすればサブスリーは間違いない。ラスト1kmの鬼と呼ばれている私(って、そう読んでいるのは自分だけ?)は、ほとんどのロードレースでラスト1kmからフォームを切り替え、ここでグンとスピードアップする。2週間前の京都シティハーフでは、最後下りとはいえ3分30秒台でカバーしているし、フルマラソンでも昨秋のつくばマラソンでは4分0秒でカバーしており、悪くて4分かかる程度で大抵は3分台でカバーしている。普通はこの1kmで十数人は抜き、ほとんど抜かれた記憶がない。ただ今回は、先に述べたように脚が今にも攣りそうで、それこそいつもの自分の走りをしたら「脚を攣って、その場で脚を抱え込んでうずくまってしまい。結局サブスリーを逃してしまう」ことになる姿を想像してしまい、とてもそなんリスクを犯すことはできなかった。本来の自分の姿を押し殺して脚が攣らない範囲にペースを抑えながら、ゴールまで向かった。従ってこの1kmはいつもと違って、ほとんど人を抜くことはなかった。しかし、いくらペースを抑えながら走っているとはいっても、フルマラソンでのこの地点というのは辛く、決して楽ではない。ゴールまであと1kmを切っているというのに、残っている距離がいつもより本当に長く感じた。レースが本当に終わるんだという実感を持てたのは、ゴールを示すゲートが大きく見えるあと100mあたりの地点になってからで、3時間を切れることも確信し、ここでやっと安堵の気持ちが湧いてきた。最後の30mぐらいになってからは、ここの大会は最後写真を撮ってくれることもあったが、嬉しくて嬉しくて何回もバンザイをしながら2時間59分20秒台で、3時間を切るのは間違いないタイムでフィニッシュした。

しかし本当にサブスリーで走れたのである。時計を見て確認してゴールしたとはいえ、なんだかまだ少し信じられない気持ち。本当に嬉しい。ここまで来るのに一筋縄でこなかっただけに、「自分もやっと、こっち(2時間台)の世界にやって来れたんだ」という気持ちが湧いてきた。やはり「自分には絶対そのタイムは出せるはずだ」あるいは「自分にそのタイムを出せるポテンシャルがあることはわかっている」という気持ちを持っていても、実際に出すのと出さないのとは大きな違いがある。本当に出せてこそ 、こういう気持ちになれる。このサブスリーというのは多くの市民ランナーの憧れの世界であり、しかもこの世界へ足を踏み入れることができるのは全体の1割という狭き門である。その世界にやっと現実に足を踏み入れることができたのだ。今までそれなりにかなりハードなトレーニングを行ってきて、しかも転勤により通勤時間が片道2時間というハンディを乗り越えてのこの目標達成には、本当に感慨深いものがある。それにしても、途中ふくらはぎが攣って立ち止まってしまい、その後も脚をかばいながら走らなければならないという状況の中、無事サブスリーを達成できたということは、幸運とまでは言えないが少なくとも運が悪くはなかったとは言えるだろう。私のフィニッシュ後、後からゴールに入ってきたランナーが「3時間4秒だったよ」と残念がってしゃべっている声が聞こえてきた。かわいそうだと同情するとともに、自分はそうならないで本当に良かったと思った。

走り終わってからしばらくして、ふくらはぎが左右とも攣ってしまい、どうにも止まらなく、両手で攣っているふくらはぎを抑えながら20分ほど立ち上がることができなかった。まあ、サブスリーを本当に達成できたのだから、これぐらいどうってことない。ふくらはぎの攣りが収まったら、GTMailSで発信されているタイムを確認しに自分の携帯を見に自分の荷物のところまで戻った。このマラソンに出るに当たって、知り合いにGTMailSで私のマラソンのタイムをリアルタイムで通知するように登録しておいたのだが、携帯を開いてみるとその知り合いからサブスリーを祝福したメールが入っていて、自分のタイムを確認する前に祝福のメールが来たということにビックリするとともに本当に嬉しかった。しかしこういうことは10年前なんかとても考えられないことで、今の時代は本当に凄いなと思った。GTMailSのタイムを確認すると2時間59分23秒だったが、会場の掲示板に貼り出された正式タイムは2時間59分22秒だった。レースが終わった後は、この大会に一緒に参加していた友人に誘われてある走友会(?)の飲み会に参加したが、その飲み会の参加者は100人ぐらいいたかもしれないが、その中で今回3時間を切ったのは私一人、すなわち私がトップタイムだった。トラックレースなどでビリの方を走ることが多い私にとっては、こんな経験はしたことがなく、それはそれで良い気持ちだった。しかしマラソンは、各人それぞれに目標を持ちそれに向かって頑張ることが大事なので、私がサブスリーで走ったから、あるいは1番になったからといって全く偉いわけではなく、目標に向かって頑張った人それぞれが称えられるべきであろう。そういうことは心しておかなければと思う。

あとレース中に潰したまめは想像以上にひどく、レース後はこのまめの痛さをずっと我慢していたが、レース後に寄った銭湯で靴下を脱ぐと血がにじんで赤くなっていた。ばい菌が入ってきたのか、その後足がどんどん腫れてきて、ついには会社を休んで医者に見てもらうはめになってしまった。とにかく足を地面に着くだけで痛く、この後の一週間は予想もしないほど辛いものだった。今までまめを潰してこれほどひどくなってしまった経験はない。しかしこれも1週間我慢しただけで良くなったし、サブスリーを出したことの代償だと思えば、安い代償である。(と今は言えるけど、痛みの当日は本当に耐え切れないほど痛かったんですよ!)

それからこの1ヵ月後、自己記録17分49秒8の更新を狙って5000mに出場したが、結果はまさかの1分遅れの18分50秒72という結果に終わってしまった。確かにマラソンでまめを潰してしまったせいで、1週間まるまる休まなければならなかったというアクシデントはあったが、それでもマラソンでのサブスリーという高い目標を達成できて、明らかに自力が上がっていると思っていた中でのこの結果は予想外だった。マラソンでは用意周到に計画を進めて、見事そのとおりにことが運んでくれたが、5000mではそうはいかなかった。 ちなみに、このレースでの順位はビリで、同じ日に出た1500mもビリ(4分59秒21)だった。マラソンだけしか出ないような人だったら、今回は全参加者の中のうち上位3%の中に入るタイムだったので、「自分はすごいんだ」と天狗になるかもしれないが、私はこのようにトラックレースでビリも経験していて、決して自分がすごいなんていう勘違いは起こさないし、そういう意味ではこういう大会を経験することにより、バランス感覚を保てて良いのかもしれない。(市民ランナーの中には自分をすごいと勘違いしている人、特に5000m15分台、マラソンで2時間30分を切るような人の中に一部見受けられるが、そんな人に対して、「あなたは全然すごくないんだ」と言いたい。所詮その程度のタイムでは陸上で飯は食えないのだから、それで飯を食えない以上、会社でいえばリストラ対象、落ちこぼれでしかない。自分だって落ちこぼれのくせに、それより遅い人に対して区別意識を持つなんて、ナンセンス、身の程知らずと言えよう。)


 

サブスリーを達成して

サブスリーを今回達成できて、心から満足している。この目標は、800mで2分10秒を切ることに次いで私の陸上での大きな目標であったが、この2つの目標とも達成できて本当に満足感を得られた。はやりこれを達成するということが、自分の能力からしてかなりの努力を要する目標であったからだと思う。前に[サブスリー達成までの経緯]というところで書いたが、私は以前ハーフマラソンで1時間半を切ることを目標にしていたことがあった。切れなかったときは、この目標が結構高いように感じたのだが、ちょっと練習の質を上げるといとも簡単にあっさりとこの目標を達成できてしまって(そりゃあ、今回その2倍の距離でそのペースで走り切ってしまったのだから、当然といえば当然だが)、拍子抜けしまい、あまり達成感を感じることができなかった。ところが800mではこの目標を達成するまでに、酸欠になって立ち上がれなくなるようなハードなトレーニングを続けたにもかかわらず何度も何度も壁に跳ね返され続け、50レースも走ってやっと達成することができただけに心から満足している。マラソンについては、ハーフを1時間22分で走れたときは少し甘く見ていたときもあったが、実際に本気で取り組んでみると想像以上にサブスリーという目標が難しく、今回気を入れ直して3ヶ月以上息をつく暇もないようなトレーニングを継続した結果やっと達成でき、それだけにやはり満足感がある。ただ、私はここで「満足」という言葉を使っているが、2分10秒を切ったのは50レース走ってきてたったの1回(2分10秒02という惜しすぎる記録が1回ある)だけであり、もし何かの要因(アクシデント、レース展開、天候等)によりこのレースで切れなければおそらく1度も切れなかったであろうし、そうしたらいくら努力してきても決して満足はできないであろう。今回のマラソンも、やはり3時間を切れたという事実を手に入れたからこそ満足できたんだと思う。

今回のマラソンでは、通勤ランニングを利用できた今までのマラソン練習の環境に比べて、通勤に片道2時間、往復4時間も奪われるという圧倒的に不利な環境に置かれたにもかかわらず、従来の練習環境では達成できなかったサブスリーという困難な目標を達成できた。達成できた要因としては、もちろん従来のレースでの失敗の経験を検証し、より最適な練習内容に組み直したことがあることは間違いない。ただ、計画をしてもそれを実行できなければ全く意味がない。時間がないこの困難な状況であるにも関わらず、その計画を実行できたのは、やはりここでサブスリーを決めなければいけないという危機感がそうさせたのだと思う。今のご時世はご存知のように不況がひどく、みな従来に比べて非常に不安定な立場に置かれていて、いつまで今の環境でいられるかなんて全く予測がつかない。であるから、あと1年後に自分がどうなっているかなど全く分からない。ただ、サブスリーを目指し始めた昨年の秋から少なくとも半期の間、すなわち2003年の3月31日までは、現職場にいることは確かだった(結果的に、今もその職場にいますが)ので、3月23日の荒川市民マラソンまでは、現在の練習環境を変えずに練習できるのは保証されていた。確かに通勤に往復4時間も奪われるのは痛かったが、幸い猛烈な残業を強いられはしなかったので、どうにか練習時間は確保できた。世の中「時間がないから・・・をする暇がない」と、時間がないことを理由に運動や勉強などをしない人が多いが、その中には、実は単にそれをやりたくないことの言い訳にしているに過ぎない人間も多いのではないかと思う。時間というのは作り出そうと思えば結構作り出せるものである。私の場合も通勤時間に4時間を取られはしたが、食事をする時間やインターネットをする時間などを大幅に制限したりすれば、1日1時間ぐらいは走る時間は確保できるものである。陸上競技などの個人競技においては、目標を達成するのは本人自身以外をおいてあり得ない。自分の境遇の悪さを嘆いたところで、誰も助けてはくれないのである。私は自分にどんな理由があろうと、マラソンで3時間を切ることを絶対に放棄したくはなかったので、そうしたらどんなに環境が悪くてもやるべきことはやらなければならない。そしてそれを実行した結果、目標のサブスリーを達成することができた。ただし、いくら工夫すれば時間を作れるといっても限度があり、例えば私の職場環境が猛烈な残業をしなければならない所へ変わり、毎日深夜0時過ぎに帰宅して、また翌朝5時台に起きなければならなくなったとすると、やはり走る時間を作り出すのは不可能である。だから、少なくともそういう状態にならないと保証されている2003年3月以内にどうにかサブスリーを達成しなければならないという背水の陣で臨んだので、妥協せずに練習を継続してこれたのだと思う。人間、背水の陣に追い込まれると、驚くほど集中力を持続できるもので、私が1浪してから大学入試に臨んだときは、もう2浪はできないという背水の陣から、本番までの2ヶ月あまりは自分でも信じられないほど集中力を持続できた。おそらくあのときが、人生の中で一番集中した時期ではないだろうか? 今回とそのときを比べると、受験勉強でその時期というのは、起きているかなりの時間を机に向かって集中していたから、1日10時間以上は机に向かって集中していたと思う。それに比べてマラソンは、いくらランニング競技の中で練習量が多いといっても1日せいぜい3時間で、平均すると1日1.5時間程度(だいたい1日10時間も毎日走っていたら、間違いなく故障してしまう)だろうから、それを考えると受験勉強のときの集中力には及ばないと思うが、それでも良く集中していたと思う。

今後については、800mでの2分10秒切り、マラソンでのサブスリーを共に達成してしまって、今現在これに並ぶような大きな目標はちょっと見当たらない。800mの記録は、現在の自分の年齢や立場(会社勤めなのだから、練習中心に生活を回すのは無理)、またこの記録を達成するまでの困難度を考えると更新することは不可能かもしれないし、自分としても今現在それに挑戦する気はないから、2分09秒34が自分の生涯記録になってしまう可能性はかなり高い。マラソンについては、今回30km過ぎで脚を攣って一回立ち止まりながらのこの記録であるし、市民マラソンランナーとしての年齢はまだまだ若い方だと思うから、おそらく自分にもまだまだ記録を更新できる可能性はあるだろう。ただしこの記録を出すには、それ相応の練習を積まなければならないことは分かっており、仕事をしながらその練習を再び積むとなるとかなりの決意がいる。今現在の心境としては、今回サブスリーを出すために行ってきた練習を、目標を達成してしまったというのに仕事をしながらまた行うことは、正直ためらってしまう。まあ心境というのは時が経てば変わるものだから、また挑戦しようという気になるかもしれない。どちらにしても、どうしても達成しなければならないと自分に課していた目標2つを達成してしまった現在、今までのように何かに急き立てられるように練習するようなことはする必要がなくなり、気楽にやっていけると思う。


 

おわりに

今回、サブスリー達成に関して、未だかつてないほど長い報告を書いてきました。レース自体についても、今までよりずっと詳しく書いてきたせいであることは勿論ですが、そこに至るまでの計画や過程を書いてきたせいでもあります。やはり今回は、初めてサブスリーを達成できた記念すべきレースだったので、これについて深く掘り下げ、書き記しておきたかったのです。人間の記憶とは頼りないもので、10年も経ってしまえば細部については、かなり忘れてしまっているでしょう。

最後に、今回、通勤に往復4時間もかかるという困難な状況を克服して、念願のサブスリーを達成できました。どんな状況であろうと、絶対サブスリーを達成したかったという強い意志がそうさせたのは勿論ですが、私のホームページに来てくれる人の存在が心の支えになっていたことも事実だと思います。誰にも知られずに、ただ自分が定めた目標に対して黙々と邁進するのもカッコいいですが、やはり人間、人に見られていると思うと身が引き締まるだろうし、人に良い結果を報告したいと思うと、それが励みになると思います。だいたい、このサブスリー報告報告をこんなに長く書いたのも、人に見られることを意識してなきゃ、こんなに熱心には書きませんよね? そういう訳で、今回サブスリーを達成できたことに関して、やりがいという側面で支えてくださった私のホームページに訪れてくれている方々に、心から感謝申し上げます。