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1000mサブスリー報告

早大同好会記録挑戦会
2003.10.12

国立競技場

2004. 6. 24

種目 : 1000m
記録 : 2分56秒94(自己新記録)

従来記録 : 3分03秒1  2001.10.7 早大同好会記録挑戦会

組 10/13位

通過ポイント 通過タイム スプリット 400m換算ペース
400m  1:09.7  69.7 69.7
600m  1:46.1  36.4 72.8
1000m  2:56.94  70.8 70.8

やっとこの年の3月に、2年半前に達成した800mでの2分10秒切りの次に自分にとって陸上での大きな目標であったマラソンでのサブスリーを達成できて、なんだか目標がない状態になってしまった。再び800mで自己新を目指すのは諸条件を考えると不可能(だいたい今あのときのような過酷なトレーニングを長期間続ける気力が自分にはない)だし、そんな中、1000mでの3分切りというのは、800mで2分10秒を切ることに比べればはるかにハードルが低く、またマラソンで3時間切りのサブスリーを達成し、更に1000mでの3分切りのサブスリーとくれば、同じ年に全く違う距離でのダブルサブスリーということになり、それはそれで達成すれば非常にユニークなパフォーマンスとなるので、今の自分にとってはちょうど良い目標となった。

マラソンサブスリー後の目標として定まった1000mでのサブスリーという目標であるが、これは毎年1回のみ、10月に行われる早大同好会記録挑戦会という特殊種目中心とした記録会でしか実施されないので、それまでまだ半年も期間がある。したがって、その間7月末の富士登山競走に初挑戦したり(練習不足で八合目の関門制限時間に引っかかり、結局失格に終わってしまったが)とランニングそのものを楽しんだ。

1000mへ向けての練習を本格的に始動したのは8月からである。計画としては9月半ばにあるマスターズの試合で800m/1500mを走り、ここである程度良いタイムを出して気分を良くして、1ヶ月後の1000mで3分切りを狙うというものである。タイムの目安としては、この時点では1000mで3分を切るには800mで2分15秒台の力が必要だと考えていた(後に自分が考案した他種目での同じレベルのタイムを求める計算式を改良して特殊種目のタイムも求められるようにしたところ、それほどの走力が必要ないことが判明したが)ので、9月の試合でのタイムの目標は2分17秒であった。わずか3年前に2分10秒前後で走っていた自分からすると、良いどころかはっきり言って目を覆いたくなるような悪いタイムだが、21世紀になって2分19秒がベストの現在の自分にとっては、これでも悪くはないタイムである。

さて、これからは10月の1000mまで中距離専用のメニューをそのまま継続していくと思うところであるが、実はちょっと欲張りなプランを考えていたのである。どういうプランかというと、11月半ばに行われる東京国際女子マラソンの25周年記念として実施される市民マラソンへも対応できるメ二ューを組もうとしていたのである。この年の東京国際女子マラソンは、世間一般では、あの高橋尚子選手が翌年のアテネ五輪の選考レースとして走るということで注目されていたが、我々ランナーの間では、出場資格が2時間30分から3時間15分ということで、今まで男性ランナーでは2時間30分を切るごく僅かの限られたものにしか許されていなかった都心でフルマラソンを走るという行為が、出場資格がやや高いことは否めないものの、一般のランナーにも開放されるということで、画期的な大会として注目されていた。都心で一度はフルマラソンを走ってみたいという思いは、フルマラソンを走ったことがあるかなりの人が抱くと思う(?)が、私も例に漏れず、その中の一人であった。

この東京国際女子の市民マラソンは25周年記念で実施されるので、おそらく今年限りであろう。ということは、あの東京のコースを走れるチャンスはこれをおいて他ないわけだから、せっかくのこの機会は大事にしたい。当初は来年以降もまたチャレンジできる1000mでの記録挑戦を今年は封印して、東京国際女子のための練習に専念することも考えたが、東京国際女子での記録狙いは考えておらずあくまでも完走が目標で、3時間10分〜15分の力があれば大丈夫だと考え、それならば中距離練習を行いながらでも十分可能と判断した。練習の流れとしては、800mを走る9月の試合まではスピード練習に専念し、その後僅かとはいえ800mよりは長い1000mが目標となるため、スピード練習にプラスして長めの距離の混ぜても大丈夫だと考え、それで同時にマラソンを走るための下地を作って行こうという、ちょっと欲張りな内容である。

練習の大まかな流れができて実際に練習に取り組むわけであるが、昨年1000mの3分切りに挑戦したときに、年齢のせい(?)か、あるいはウエイトトレーニング止めてしまったためか、直前になって自分のスプリント力が想像以上に低下していること気付き、ほとんど対策を打てないまま試合に出て3分8秒に終わってしまった苦い経験があるので、スプリント持久力を養成するメニューに積極的に取り組んだ。具体的には昼休みを使っての200m×6と、300m+(200m×3)+300mで、どちらも1本1本の質を高めるため歩行でつないでいる。前者はスプリント力強化の側面が強く、後者はそれに加えて耐乳酸能力の要素が強くなる。あとは、家の近くの400m相当の上がり坂×10のインターバルなども行ったが、これは心肺機能と筋持久力の向上を目的としており、まあ中長距離の練習としてはノーマルなものであろう。

さて、メニューを決めて実際に練習に取り組んだのだが、自分の計画に反してスプリント力が一向に上がってくれなかったのには困った。200m×6や300m+(200m×3)+300mは会社近くの芝裏競技場でスパイク使用で行っていたが、200mは開始当初33秒程度かかっていたものの、そのうち上がるかと思っていたのに、1ヶ月経ってもたまに31秒台が出る程度で32秒台に留まっていた。昔なら楽に30秒は切っていたのに・・・。そんな状態で迎えた9月半ばの東京マスターズ選手権の結果はやはり悪く、1500mはかろうじて5分を切る4分59秒、800mは2分22秒もかかってしまい、社会人ワーストであった。(余談ですが、このレースにはサイさんも一緒に出場しておられ、2分5秒で1位でした。3年前なら10m以内の至近距離で走れたでしょうが、今や私ははるか後方になってしまいました。)結構真剣に練習に取り組んでいただけに、この結果にはかなりへこんでしまい、レース直後に自分のホームページの掲示板で述べた感想はいつになく弱気で、「年齢による衰えを感じざるを得ない」と弱音を吐いてしまった。正直言って、もうこれで中距離から足を洗ってしまおうと思ったほどだった。ただ、気持ちの切り替えが意外と早いのが自分の取り柄で、あれだけ落ち込んでいたのに数日経つと、また「やってやる」という気持ちに変わっていた。

一回落ち込んだ後、再び「やる」と決めて、次の目標へ向けて練習を開始した訳であるが、東京マスターズの結果が想像以上にシビアだったので、当初考えていた11月半ばのマラソンまで視野に入れたメニューなどという中途半端な甘い考えは完全に捨て去った。とにかく10月の1000mレースまでは後のマラソンのことは考えずに、1000mのタイムを伸ばすための練習に専念することにした。しかし、そうは言っても練習のタイムは相変わらず伸びずじまい。1000mは3分20秒前後、300mも50秒もかかってしまい散々だったが、9月下旬に織田フィールドで練習したときに、300mを45秒台、その後練習場に一緒にいたサイさんに引っ張ってもらって600mを走り、後半失速して1分44秒かかってしまったものの、前半の300mを48秒台で通過できて、これらの走りは今年の今までの自分では考えられないもので、これで試合に向けて前向きになった。

さて、試合に向けて前向きになって、その後の練習内容も比較的納得いくものをこなせたものの、最終調整として行った試合2日前の芝浦競技場での960mのタイムトライアルのタイムは3分05秒3で、これは9月に800mで2分22秒に終わったときの3日前のタイムと全く一緒であり、直前になってかなりショックな結果が出てしまった。しかし、今更猛練習して挽回できるわけでもなく、9月の試合前はレースに向けた最後の詰めの生活のしかたがやや雑だったことを思い起こし、今回はできる範囲で最善の生活をしようと考えた。具体的には、マラソン以外で効果があるかいろいろ議論はあるかとは思うが、とにかく自分は、今まで中距離でもレース前日は高炭水化物食をとるグリコーゲンローディングを行ってきて、それで成功してきていたので、今回もこれを徹底した。また、3、4年前に800mで自己新を連発していたときは、レース当日の早朝に450m程度の距離を8割程度の力で走る早朝刺激走を行っていたので、これを3年ぶりに復活させた。

そして1000mレース本番がやってきた。当日早朝に既に刺激走を行っているので、会場でのアップはジョッグと流しだけという軽いものだけにして疲れを残さないようにして本番へ臨んだ。私は3組目で、出場者は十数人(正確には13人)とまあまあの人数が走る。そしてスタート。800mと違ってオープンレーンなので、すぐにみんなが内側のレーンに寄って来る。予定ではみんな速ければ、無理せず最後尾からでも良いという考えだったが、一人遅い選手がいたのでその選手はかわし、後ろから2番目のポジションに位置した。それでも最初は前の選手とつまり気味だったので抜こうかどうか迷っていたが、そうするとどうしても外側のレーンへ膨らみ気味になって、距離も動きも無駄が多くなってしまうので、そのままそのポジションにいることにした。そして200m地点に来たとき、前の選手が通過するときに33秒という掛け声を聞いたのでかなり速いなと感じた。しかし決して無理をしているわけではないので調子は良いのかなと思った。その後はペースがやや落ち着いた感じがしたが、そのままその位置を守り400mで前の選手の通過のときに聞いた掛け声が68秒で、これで調子の良さを確信した。その後、自分のすぐ前にいた選手が前の3人を抜いて一気に前に出たがそれは追わず、集団はその3人と自分を含めて4人となった。そして600m、前の選手が通過するときの掛け声が1分45秒というのが聞こえた。2年前に3分3秒で走ったときの600mの通過が1分49秒というのが頭の中に入っていたので、これは相当良いペースで来ていることがわかった。余裕もまだあったし、これなら3分を切れるかもと思った。600mすなわちあと1周を通過してからは、前の3人が苦しそうでペースが上がらないので、ここで一気にこの3人を抜いた。そしてそれだけに留まらず、ラスト300mを示すラインを通過すると更に加速した。3年前に800mの自己新を出していた頃は、このラスト300mからの加速ができていたが、このところレースに出る機会がめっきり減ってしまい、この地点からスピードを上げて最後まで持たせる自信がなくなっていたので、いつもラスト200mまでスピードを上げるのを躊躇するレース展開が続いていた。しかし今回久しぶりにこの展開ができた。ラスト300mからスピードを上げてからは、前半自分のすぐ前にいて途中から抜け出していったランナーが10mほど前にいたので、今度はこのランナーを抜こうと諦めずに頑張った。こういうラストの頑張らなければならない局面では、多少無理っぽくても前にいるランナーを最後まで諦めずに追うことが、記録向上のためには大事である。ラスト150mを過ぎて体がやや動かなくなってきたが、最後の直線に入って、残っている力を振り絞る。追いかけていたランナーとの間は結局詰まらなかったが、逆にラスト1周を過ぎてから抜いたランナーのうちの一人がラスト50mあたりで抜いてきた。さすがにこの地点でもう抜き返す余力は残ってなかったが、それでも気持ちを緩めず、最後までしっかり走りぬきフィニッシュ。

フィニッシュ後に押した自分の時計を見ると、何と2分57秒台の表示で止まっていた。時計を止めたのはフィニッシュしてから数歩歩いてからなので、最低2分57秒台が出ているのは確実だ。この大会に向けて3分切りを目標に掲げて練習に取り組んできたが、今までの悪戦苦闘ぶりから切れるとしてもぎりぎりだと思っていただけに、これだけ大幅に目標をクリアできたというのははっきり言って意外だった。とにかく、自分は今まで、練習を含めて1000mで3分を切ったことがなかったので、1000mを走って時計の先頭の数字が「2」で止まっているのを見るのはもちろん初めてである。そりゃあ、異なった距離間のランニングのレベルを求める計算式を考案したような自分である。800mでベストを出した頃の走力なら、1000mで2分50秒を切れるぐらいの記録を出せたであろうことは、いろいろ計算してみて頭では十分わかっていた。しかしそれは頭での理解であり、感覚での理解ではない。自分の感覚としては、とにかく1000mを走ったあと、時計の先頭の数字が「2」で止まっているのを体験したことがないのだから、未知の領域に足を踏み入れることになり、それはかつて800mで未知の領域へ入っていっていた頃の感覚と同じもので、何とも言えないものであった。とにかく素直に嬉しかった。掲示板に貼り出された正式結果を見ると2分56秒94で、自分が時計で見た数字より上の2分56秒台で更に嬉しくなった。この後5000mにもエントリーしていたが、今までとても5000mに対応できるような練習はしておらず、せっかく目標を達成した1000mの良いイメージを5000mでの悪い走りで壊したくなかったので、結局棄権した。

今回1000mでの3分切りという、800mで2分10秒切りを目指していた頃の自分だったら決して喜ばないであろう記録の達成だったのに、これほどの長い報告を書いた。まあ、21世紀に入ってマラソン以外に自己新がなく、実に久しぶりのマラソン以外の種目の自己新だったということもあるが、それよりもやはり、素直にこの記録達成を心の底から嬉しいと感じたのが大きい。そう感じた理由は、年齢による影響かあるいはウェイトトレーニングをやめてしまったせいか、当初の計画どおりにことが運んでくれず、これは相当気持ちを入れ直して取り組まなければならないと自覚し、1000mレースの直前1ヶ月は現状の自分としてはできる限りの努力を注ぎこんできて、その努力の末、無事その目標を達成できたというプロセスを伴っていたからであろう。ちなみに私のホームページの売りのひとつである、他種目のレベルを求める計算式により、この2分56秒94と同レベルのタイムを800mで計算してみると持久力レベル6(大学同好会レベル)で2分16秒37、持久力レベル9(世界トップレベル)で2分16秒76となり、いずれにしても2分16秒台には変わりがない。当初、感覚的に、このタイムは2分14秒台相当だと思っていただけに、この結果を知ってちょっとがっかりしてしまったが、以前の自分と比較して残念がってもしょうがない。当初2分59秒台ぎりぎりを狙っていたことを考えれば、これ以上ない結果といえよう。

余談であるが、この1ヶ月後に行われた東京国際女子マラソン併設の市民マラソンに出場したが、練習での皇居7周35kmなどのタイムでは目標のマラソン3時間15切りレベルには達したと思い本番も完走はできると思ったものの、本番では制限時間の関門に引っかかってしまい、僅か20km、レースの折り返し地点も見ることもできずに失格、リタイアとなってしまった。当日は、シドニー五輪の金メダリスト高橋尚子選手がまさかの大失速となってマスコミを賑わしたが、その原因の一つとなった当日の11月としては異例の25℃という気温は、私にも誤算であった。35km走のタイムでは完走への合格点が出ていたが、1000mをターゲットとして200mや300mを繰り返す練習ばかりしていた時期から僅か1ヶ月後のフルマラソンというのは、やはり体の芯にスタミナを蓄えられなかったのであろう。見かけ上は速く走れそうに仕上がっても、このような外的な環境のちょっとした変化には対応できるスタミナはなかったのだと思う。この東京のコース、特に名物の後半の上がり坂を体験できる唯一度のチャンスだった(25周年記念ということと、2005年から都心で計画している3万人規模の市民マラソンのことを考えると、一般市民ランナーがこのコースを走れるのはこれっきりの可能性が強い)かもしれなかったのにそれを逃してしまい、失格になった直後は、やはり1000mレースをパスして、このマラソンの練習に専念した方が良かったかなと正直思った。まあ、人の感情というものは何か大きなことがあるとよくぶれるもの。あれからもう半年以上経った今となっては、そのときの1000mへの取り組みには全く後悔していない。むしろ、同じ年にマラソンと1000mという全く違う距離で、どちらも初めてサブスリーを達成できたということは、これもやろうと思ってなかなかできることではなく、やはりこれを成し遂げることができて良かったと思っている。願わくは、その報告も走り終えてまだその熱気が覚めやらないうちに書き上げられることができれば良かったのだが・・・。(試合が終わってから、この報告を書き上げるのに8ヶ月もかかってしまいました 。(すいませんm(__)m))