作成 2009. 5. 1 |
<はじめに>
2008年2月17日に参加した東京マラソンの完走記を一年以上経って公開しました。書き上げるのにあまりにも時間がかかり過ぎて(同じ年に行ったアメリカ・カナダ旅行記を書き上げるのに労力を費やし過ぎて、こちらに時間を割けなかったのもその理由です)、一時はやめてしまおうかとも思ったこともありましたが、やはり待望の東京都心を走れるこの素晴らしい大会にせっかく参加できて、しかも参加倍率が高いために次にいつ出られるかわからないこの状況の中なので、参加できた貴重な記憶を残すべきだと思い、亀の歩みだけれども書き続け、ついに書き上げました。ただし、やはりこれだけ時間が経ってしまうと記憶にも曖昧なところが出てきてしまい、文中不正確なところが多々あるかもしれませんが、ご了承願います。 <マラソン受付&EXPO(2月16日)>
そのうち、かつての日本マラソン界のスーパースターだったあの瀬古利彦さんのサイン会が行われているブースへ辿り着いた。「瀬古利彦マラソンの真髄」という本を買うと、そこで瀬古さん本人のサインをもらえるというものだった。しかしこの本は既に持っていたし、どうしようか最初迷ったが、本人からサインをもらえる機会はそうそうないことだし、同じ本をもう一回買ってサインを貰うことにした。そしてサインをもらうときが来たが、ただもらって「ありがとうございました。」だけでは面白くない。そこで、瀬古さんが早稲田大学出身で私も早稲田出身ということを思い出し、ちょっと話しかけて見た。
<レース当日(2月17日)> そして東京マラソン当日。昨年3倍の倍率の抽選に外れて出られず、今年は5倍の倍率を突破して運良く走れ、来年はまた全く走れる保障がないからこそ余計に貴重だ。東京マラソンの特色は都内の観光名所を巡るコースになっており、走りながら観光名所を見られること。だから今回も、記録を目指してひたすら時計とにらめっこしながらわき目も振らずに走るなどというもったいないことはせず、過去のニューヨークやボストンで行ったように、余裕を持てるペースで風景を楽しみつつ、随時写真を撮りながら走る事にした。だからといって、練習を全く手抜きをした訳ではなく、通勤ランニングを中心に220km程度、記録を狙わないレースとしては結構な距離を走り込んで準備してきた。やはりマラソンはある程度準備をしておかないと、必ず中盤以降脚を攣ってしまったりして地獄が待っていることは、過去数レース(01年ニューヨークマラソン、02年北海道マラソン等)で痛いほど思い知っているので、レースを楽しむためにもある程度準備は必要である。目標は、4時間ちょうどぐらい。過去4時間をオーバーしているのは海外で走った2回だけなので、できれば余裕を持ちながら3時間台で走りたいと思った。 レースは9時10分スタート。ただ、レース前に用を足しておかなければならず、トイレで並ぶ時間も考慮して、7時45分には会場の新宿の都庁前へ到着した。予定通り用(大の方)を足した後、荷物を預ける(ゴールのお台場にある東京ビッグサイトまでトラックで運んでくれる)制限時間が迫ってきた。そこで走る格好をどうしようかと考えたが、この冬は例年よりも寒くこの日もまた寒かったので、ゆっくり走って体温もあまり上がらないことも考えて、長袖とタイツに胸がエンジ色でそこに「稲穂AC」のロゴが入ったユニフォームをその上に着て走る事にした。(ちなみにこの稲穂ACというのは私が大学時代所属していた早大陸上同好会のOBの一部により作られたクラブであるが、現在事実上休止状態で、恐らくこのユニフォームを着ているのは私のみと思われる。)スタート40分前に再びトイレ(小の方)に行った後は、どこのトイレを見てもかなりの列ができていたので、もうトイレに行くのはやめた。
いよいよスタート。やはり陸連登録しているおかげで、スタートラインまで到達するまではほとんど時間を要さなかった(最後尾通過が20分といわれている中、たった50秒で済んだ)。そしてスタートラインを通過する直前、去年も東京マラソンの象徴的風景となったスタート直後の桜吹雪が今年もランナーの上に降らされ、本当に綺麗だ。スタートして間もなく、早くも東京マラソンの見所の一つである新宿大ガードに来る。ちょうど10年前の東京シティハーフマラソンでも経験したが、この大ガードの下の普段車が通る道をランナーが走って通れるのは格別だ。大ガード下をくぐり抜けてからは、靖国通り一杯にランナーが広がっていて、これはまさにニューヨークマラソンで見た光景。やっと日本でもこんな大会が開かれるようになったんだと感激した。外国からの参加者も、やはり普段走る国内のロードレースより明らかに多かった。しかし、東京マラソンの素晴らしさに感激している一方、スタート前から我慢していたトイレがついに限界に達してきた。2km地点で仮設トイレを見つけたので、そこへ早速入った。やはり3万人もの人数が参加する東京マラソン、トイレも当然混んでいて、終えるのに結局6分以上かかった。まあ、今回は楽しみながら走ることが目的だったので、別にトイレに長く待たされてもイライラはしなかった。
折り返してきたコースをずっと進んでいくと、日比谷交差点で右折して、いよいよこのマラソンの目玉である銀座へ進んでいくわけであるが、ここで右折する直前で対向車線にまだ、10kmに到達していないランナー達が何人かいた。10kmに達していないのにもう歩いているので、おそらく完走は不可能だろう。こんな10kmまでも走り続けられないというのは、ほとんど全く練習していないことは明らかである。しかし、これだけ人気のある大会で抽選で落選して涙を呑んだ人達も大勢いるはずだし、各人それぞれ事情はあるかとは思うが、やはりある程度の距離を走り続けられる練習を積んだ上に参加するというのが、参加資格を与えられたものとしての最低限のマナーであろう。よく練習する時間がないという声を聞くが、ランニングほど時と場所を選ばないスポーツは、他を見渡してもそうそうない。これができないというのは単なる甘えか、あるいは本当にそれが不可能な状況にいるならば、やはり参加を辞退すべきであろう。とにかく当選した人は、その裏で走りたくとも落選して走れない人が大勢いるといるということを自覚してこの大会に臨んでもらいたい。
銀座の中央通りをずっと進んでいくと日本橋に行き当たる。私自身実はそれほど詳しく東京マラソンのコースをチェックしておらず、どの辺を回るかの大まかな感じはつかんでいたものの、どこそこの交差点を曲がるというレベルまでは把握していなかった。だから、東京マラソンのコースはこのマラソンのコースを実際に走るまでは、ずっと日本橋を通過するとばかり信じて走っていた。この通りでも代表的な建物のひとつである高島屋を通り過ぎるとすぐ前に首都高が見え、その下がまさに"日本橋"であり、そこへ行くと思っていたところ、意外にもマラソンコースはその直前の交差点で右折してしまい、ちょっと意表を突かれた形になってしまった。結局日本橋の上を通過することなく、今度は銀座と同様にこのコースの目玉である浅草の雷門へ向けて進んで行った。銀座の中央通りではあれだけ沿道の人が多かったのが、23km地点あたりから人がまばらになっていた。この沿道の人込み合い具合をみて、ちょっと母親に待ってもらった地点の選定に失敗したかなと思った。このあたりで待ってもらっていれば、見つけられる可能性も高かったと思う。しかしこればかりは一回経験してみないとわからないから、しょうがない。 それにしてもこの大会、やはり仮装ランナーが多く、私のすぐそばには頭に東京タワーの模型を頭にかぶった外人さんがいたし、ちょっと離れたところには水戸黄門の衣装を着たランナーがいて、さかんに「黄門様、黄門様」と声をかけられていた。それから、この辺りまで走ってきて、踊りや太鼓等による演奏などを沿道で見ることができ、これはいつもの大会よりは明らかに多い。これらは東京マラソン事務局が用意したイベントと思われ、マラソンをお祭りとして盛り上げているのは間違いない。ただ、過去ニューヨークマラソンやボストンマラソンに参加して、沿道でロックバンド演奏が演奏しているすごい派手な応援(?)など見てきて、しかもこれらは大会主催者が用意したものではなく、どう見ても観衆の一部が自主的に行なっているもので、しかもランナーに与えるインパクトはやはりこれらの方がやはり大きく、それに比べるとちょっと物足りないなとは思いながら走った。
2枚目の雷門の写真を撮り終えて再びランナーの流れに合流しようとしたところ、突然全く予期していなかった事態に直面した。「ドカッ」と人と激突した衝撃を感じた後、目の前にかなりの勢いで転倒した人がいた。なんと私がランナーの流れに合流しようとしたときに、走っていたランナーとぶつかり、転倒させてしまったのである。転倒したランナーは、結構年配の方であったが、かなり痛そうでうずくまっていて、シューズも脱げてしまっていた。私はとんでもないことをしでかしてしまったと思ったと同時に、急いでその方の元に寄り、「大丈夫ですか。」と声をかけたが、すぐには立ち上がれそうもなさそうだった。すぐに大会で救護班を担当している国士舘大の学生がこの方の元に駆け寄り、この方の様子を伺っていた。もうこの方が立つことができなかったら、正直もうここで途中棄権しなければいけないと覚悟した。こちらが不安な気持ちで見守っていると、そのうちこの方が上体を起こして、「大丈夫です。」と言ってくださった。どうやら、このあとも走れるとのことである。その状態を聞いて少し安心し、「本当に申し訳ありませんでした。」とこの方にお詫びをした後、再び走り始めた。今までこの雷門へ来る前までは、初めての東京マラソンを走れたんだということですごくウキウキ気分だったのに、この出来事で一気にその気持ちがなくなった。とにかくこんな不注意事故を起こして他の人に大きな迷惑をかけてしまった自分自身に対してものすごく腹が立ち、「今後、もう二度とこんなことはするまい」と強く思った。
30km地点で再びトイレを済ませた後、今度は再び銀座の中央通りへ入っていく。雷門で年配の方を転倒させてしまった後は、もうとてもこの後写真なんて撮る気にならなくなっていたが、このあたりに来て少しそういう感情も和らぎ、前半残りのフィルム枚数を気にして撮らなかった高島屋の写真などを撮った。残念だったのは、前半この地点を通過した時は快晴の空だったのに、この地点では曇ってしまって、淀んだ風景になってしまったことである。中央通りが終わりに差しかかる34kmあたりからは、前半見逃してしまった母をまだ見つけられるかもしれないと、あえて走りから歩きに変えて沿道の中を注意深く探した。私が歩いている姿を見てもうへこたれてしまったと思ったのか、沿道からは「ゼッケン12120番どうした!」という掛け声がかけられたり、ボランティアの方が駆け寄ってきて「どうしました、大丈夫ですか?」と聞いてきたので、「大丈夫です、ただ人を探しているだけです。」と答えて心配ないことを伝えた。結局この辺りでも母を見つけることはできなかった。やはりこれだけ人がいると、特定の目印を伝えて事前に伝えておくか、よほど目だった応援をしてくれない限り、見つけるのは難しい。こんな感じでこのあたりは母を探すことに集中していたので、結局このコースの見所のひとつである歌舞伎座の存在に気付かずに通過してしまった。
そしていよいよゴール。ゴール地点は東京ビッグサイトの脇にあり、レース序盤から中盤にかけての都心の名所の華やかさに比べるとかなり地味であることは知っていたが、やはりそのとおりだった。この辺がニューヨークやボストンのように華やかだったらもっと良かったのにとは思ったが、ただ、中盤に贅沢な景色を楽しませてくれたのだから、これ以上要求するのはちょっと望み過ぎかもしれない。そしてフィニッシュ。タイムは4時間08分14秒(ネットタイム 4時間07分25秒)で、2001年のニューヨークマラソンでの自己ワースト4時間09分19秒を僅かに上回る自己2番目の悪い記録だった。雷門で年配のランナーさんを転倒させてしまって数分そこで立ち止まざるをえない状況があったりしたので、しょうがないタイムであろう。今回、あれだけ出たいと思っていた東京マラソンを完走したのに、フィニッシュ後はあまり晴れやかな気分にならなかったが、やはり雷門での転倒事故が尾を引きずっていたと思う。 フィニッシュ後は、この東京マラソンもニューヨークやボストンにならって、体温が下がらないように完走者へポンチョをかけてくれる。ポンチョをかけてもらった後荷物を取りに行ったがスムーズに荷物はもらえ、前年話題になった混乱は全くなかった。やはり前年の反省を活かして、このあたりの運用は改善したのだろう。荷物をもらった後は、S君夫妻と月島へ行ってもんじゃ焼きを食べた後、明走会の打ち上げにS君と一緒に参加させてもらって、レースを走った人、ボランティアをされた人たちと一緒にお話をし、盛り上がった。
<レースを終えて> 2007年に初めて開催が実現した東京マラソン。あの東京のど真ん中を走れるということから、ランナーの憧れの大会であり、初回は倍率3倍、そして今回は5倍の狭き門(ちなみに2009年大会は7.5倍と倍率は更に上昇)となったが、希望が叶い当選した。都心の名所を巡るコース内容、メディアからの伝わってくる前回大会の情報や、実際にボランティアとして体験した経験から、走らなくても素晴らしい大会であろう事はわかっていたが、実際に参加させていただいて、期待にたがわぬ素晴らしい大会であることを体感できた。あれだけ沿道の応援が多く華やかな大会というのは、日本では経験したことがない。(敢えて言えば、北海道マラソンは札幌のど真中を通るコースで、東京マラソンと比較できる対象だと思うが、自分が参加していた96、97、02年の参加資格が4時間以内であり、お祭りにしてはちょっと制限時間が厳しかったと思う---ちなみに、今の制限時間は5時間。外国では、ニューヨークマラソンがコース全般にわたって華やかで、東京マラソンのモデルとしての存在を感じることができる。110年以上の圧倒的伝統のあるボストンマラソンは、前半は山林のさびれた場所を走ったので、意外と地味な印象が残った。)それから、遠くから見ると良く見えるが、実際に体験してみると悪い面が目立つといったことも珍しくはない(2003年の東京国際女子マラソンは、25周年記念で3時間15分を切った男性も出られるので参加したが、市民ランナーの扱いに慣れていないと思われ、かなり不満の残る運営だった)が、そういうこともなく、まさに最高の大会のひとつと言えると思う。2009年大会の抽選倍率はついに7.5倍もの狭き門となってしまったが、おそらくこれに近い倍率が今後も続くのだろう。本当に今後は、数少ない参加の機会をゲットできたら、その機会ごとに十分に大会を味わわないともったいないという気持にかられる。 あと、これは自分自身の問題であるが、今回途中で年配のランナーの方を転倒させてしまうという事故を起こしてしまって、大変反省している。自分自身、市民ランナーが走る速度は大したことがないので、写真を撮った後に急にコースインしても全く問題がないだろうとたかをくくって油断していたんだと思う。しかし、走っている側からすれば、まさか急に沿道から人が自分の目の前に現れるとは思わないだろう。自分と転倒させてしまった方との立場を逆転させれば、十分過ぎるほど理解できる。2001年のニューヨークマラソン以来、レースによってはカメラで風景を撮影しながらレースに出るということをたまに行なってきたが、トラブルは一度も起こしたことがなかったとこも油断の一因になってしまったと思う。ただし、走りながら写真を撮るという行為は、自分が見てきた風景を他の人に紹介するには一番の手段だと思うし、このような大会をお祭りとして楽しもうという心のスイッチの役割も果たしていると思う。だから、この事故を機にレース中の写真撮影はやはりやめたくない。ただ、これからは今までよりもずっと安全の意識を持って慎重にレース中の写真撮影を行なっていきたいと思う。 |